平定三逆方略聖祖仁皇帝 康熙十九年 1680年

正月甲午 賞賚と龍安回復

  • 王進宝・趙良棟の標兵に恩賞を命じた。趙良棟は白水壩から渡江して賊を破り、龍安府の偽総兵姜応熊らの投降を受けて龍安府を回復した。

丁酉 趙良棟軍への増兵督促

  • 趙良棟が求めた興安路四千の兵のうち実際に到着したのは二千に満たなかったため、皇帝は大将軍図海に速やかな遣発を命じ、不足の原因を総督哈占に糺させた。

己亥 王進宝・趙良棟の後詰め部署

  • 将軍烏丹を王進宝の、鄂克済哈を趙良棟の後継とし、大将軍図海には漢中に赴いて進蜀諸軍の糧餉を統括させ、疆土の鎮守にあたらせた。

丁未 重慶・夔州攻略の督促と将領の任用

  • 総督楊茂勲・提督徐治都に重慶・夔州の速攻を命じた。あわせて、投誠した黄明を援勦総兵官として馬承廕標兵を率いて莽依図軍へ、葉秉忠には総兵官の職銜を与えて休致を許した。

庚戌 馬承廕標下の五営設置

  • 簡親王喇布の増営要請に対し、皇帝は将軍標下に七営の例はないとして、馬承廕標下は五営を維持させ、別に一千を簡親王軍へ回した。

甲寅 成都・保寧の回復

  • 皇帝は烏丹・王進宝に蟠龍山での対陣にとどまらず、別動隊で錦屏山方面から重慶・夔州を攻めるよう指示した。
  • 趙良棟は明月江を渡って賊を破り、綿竹の偽勁武将軍汪文元、成都の偽巡撫張文徳らの投降を受けて成都を回復した。
  • 王進宝は保寧郊外で二万余の賊を撃破し、錦屏山・寳橋を経て入城、賊将王屏藩は自経し、偽将軍呉之茂ら多数を捕らえて保寧を回復した。

丁巳 諸路進撃の督励

  • 皇帝は王進宝・趙良棟の戦功を賞し、王屏藩の首級と呉之茂・張起龍の京師護送を命じるとともに、湖広・広西の諸大将軍・将軍にも分道進撃を促した。

己未 趙良棟の雲貴総督兼任

  • 雲貴平定に才略ある人材が必要として、勇略将軍趙良棟を雲貴総督に任じ、将軍職も兼ねさせた。

二月辛酉朔 湖広四川諸軍の部署

  • 成都・保寧の回復を受け、順承郡王・都統らに重慶攻略を命じ、烏丹・鄂克済哈は趙良棟らと雲貴進取にあたらせ、楊茂勲・王之鼎は成都、王進宝は四川、徐治都は彞陵・荊州の守備に回した。

海寇討伐と祖沢清父子の処刑

  • 巡撫金&KR1441;の求めに応じ都統王国棟らに沿海の海賊謝昌孝・李積鳳の討伐を命じた。
  • 反逆を繰り返した祖沢清・良楩父子を市中で磔刑に処し、家口は官に没収した。

四川流民の招徠と地方官の任用

  • 戸部の上奏に基づき楊茂勲・杭愛に四川流民の招徠・撫綏を命じた。
  • 都督同知高孟・王用予、副将王潮海、参将王進才を四川各路の総兵官に任じた。

丙寅 順慶方面の回復

  • 王進宝・佛尼勒・王潮海らが塩亭・潼川など沿道の州県を招撫しつつ順慶に至り、偽知府彭天寿らの投降を受けて順慶を回復、蓬州・広安州以下の周辺州県も相次いで平定した。

丁卯 順承郡王への糧餉輸送と雲貴進取の部署

  • 郎中蘇赫臣・員外郎噶爾薩に楊茂勲の船を用いて順承郡王軍への糧餉輸送を命じた。
  • 四川平定を受け、簡親王配下は柳州へ、平南親王は貴県駐守、莽依図・馬承廕・馬九玉・金光祖らは雲貴進取に向かわせた。

夔州回復と譚洪の投降

  • 提督徐治都が巫山県の偽将軍楊来嘉らを破って進撃し、夔州の偽将軍劉之衛らの投降を受けて夔州を回復した。
  • 譚洪はその子を遣わして脅従の経緯と偽印信を差し出し、雲陽の偽総兵らとともに徐治都の軍門で降った。

庚辰・辛巳 烏丹らの雲貴急進と投誠官兵の処遇、蒙古軍功の査定

  • 四川平定を受け、烏丹・鄂克済哈に重慶へ急行して雲貴進取にあたらせた。
  • 趙良棟の上奏により龍安以来の投誠偽官員多数の処遇を定め、総兵官六員・兵三千を選抜して進軍に随伴させ、他は民に帰し、旗人は帰旗、呉逆配下の者は成都に留めて審査することとした。
  • 理藩院・兵部の上奏を受け、福建・陝西で凱旋した蒙古諸旗の軍功査定のため、理藩院侍郎達哈塔・兵部員外郎杜稜を派遣した。