三月 孔四貞への招撫
- 偽監軍道信勝将軍傅宏烈の書状により、孔四貞(孔有徳の娘)が太皇太后を慕っており、孫延齢の罪を赦し四貞を郡主に封じれば帰順が期待できるとの情報が舒恕を通じて上奏された。皇帝は麻勒吉に招撫の勅を起草させ、四貞の意向を確認したうえで正式な勅を頒す方針とした。
己邜~甲申 泉州・漳州の回復と閩地平定
- 拉哈達らが二月九日に泉州を回復。海賊何祐・鄭錦の兵は潰走した。
- 二月二十日には漳州・海澄以下十県を回復し、閩地が全て平定された。皇帝はこれを大いに賞し、傑書に潮州方面への進軍と、莽依図を鎮南将軍に任じ広東を挟撃するよう命じた。あわせて贛州の守備体制も再編した。
尚之信・傅宏烈らの投降交渉
- 尚之信・傅宏烈が密かに投降を申し出、劉進忠・苗之秀も投誠を報告。皇帝は拉哈達・頼塔・耿精忠に潮州へ先発させ、莽依図の広東進軍を急がせた。史臣は、閩の平定と湖南への圧力により広東の諸勢力が雪崩を打って帰順したことを、皇帝の機を見た果断な決断によるものと評した。
諸将の功罪審査の強化
- 吉安の兵の罪状審査が不十分であることを咎め、以後は実地確認と供述記録を徹底するよう命じた。
甲午~乙未 長沙軍への馬の輸送と尚之信への督促
- 内厩馬千匹を長沙軍へ送り、途上の安全確保を安親王岳樂に指示した。尚之信・傅宏烈にも速やかな迎軍を促した。
劉進忠・苗之秀の赦免、董衛国の宜黄討伐
- 劉進忠・苗之秀の投誠を受け入れ、それぞれ潮州総兵官・碣石総兵官に復し従軍させた。
- 董衛国が宜黄・楽安・崇仁の賊楊玉泰らを大嶺で破り、楽安を回復、玉泰は投降した。
壬寅 簡親王喇布らの処分
- 侍郎班廸の調査報告により、吉安を長期包囲しながら攻略できず賊を取り逃がした責任を厳しく問い、参賛の哈爾噶齊・巴爾堪を革職披甲、副将軍希爾根を老衰により南昌へ撤収、額楚を将軍・参賛職から解いて世職のみ留任とし、参賛・夸蘭大の人事を大幅に刷新した。
癸邜 殉難官員の遺骸送還
- 呉三桂の乱で殉難した文武官の遺骸と妻子を、公費で郷里へ送還するよう命じた。史臣はこれを皇帝の忠節を勧める破格の恩と評した。
乙巳 長沙への砲・馬の輸送と各方面への圧力
- 議政王らの議により紅衣砲二十具を南昌経由で長沙へ輸送する計画を定めた。
- 勒爾錦には臨江に兵を進めて渡江の構えを、図海には漢中への圧力を示させ、呉三桂の兵力を分散させた。
丙午 吉安の回復と尚善への譴責
- 包囲が長引いた吉安で賊の糧が尽き、二十一日夜に南門から脱出、官兵が入城した。
- 尚善が長沙へ送る馬の護送兵をわずか千人に絞り、七星台で伏兵に奪われたことを皇帝は厳しく咎め、安親王岳樂の迎え手配の不備も併せて重罪と断じ、事後に厳しく議罪するとした。
諸将への広東・江西方面の再配置
- 莽依図を韶州、額楚を袁州へ急派し、簡親王軍を吉安・贛州に再配置し、麻勒吉を通じて李本深・曹申吉・馬雄・孫延齢への招撫工作も進めた。