春正月 張繡の反逆
- 春正月、曹操が張繡を征伐すると張繡は降伏した。張繡の末の叔父にあたる張濟の妻が絶世の美女だったので、曹操はこれを妾とした。張繡はこれを恨んで叛を謀り、曹操を襲って七軍を大敗させ、曹操の二子を殺した。
荀彧の四勝論
- 曹操が乗輿を迎えて以来、袁紹は内心これに服していなかった。袁紹は河朔を併せ、天下はその強さを畏れていた。曹操は東に呂布を憂い、南に張繡を防いでいた。張繡が曹操軍を破ると、袁紗はいよいよ驕り、曹操に無礼な書状を送った。
- 曹操は激怒し、立ち居振る舞いが常と変わった。人々は張繡に敗れたためだと思ったが、僕射の鍾繇が尚書令荀彧に問うた。荀彧は、公は明哲だから過ぎたことを咎めはしまい、別の心配事があるのだろうと言い、曹操に会って尋ねた。
- 曹操は袁紹の書状を見せ、いま不義を討とうにも力が及ばない、どうすればよいかと言った。
- 荀彧は答えた。古来の成敗を見れば、真に才があれば弱くとも必ず強くなり、その人でなければ強くとも容易に弱くなる。劉邦と項羽の事を見ればわかる。
- いま公と天下を争うのは袁紹だけだ。袁紹は外見は寛容だが内は猜疑深く、人を任用しながらその心を疑う。公は明達で形式にとらわれず、才に応じて用い、疎遠や卑賤を問わない。これが度量の勝ちである。
- 袁紹は鈍重で決断が少なく、機を逸する。公は大事を決断でき、変化に方策をもって応じる。これが謀の勝ちである。
- 袁紹の軍は統制が緩く法令が一定せず、兵は多くても実際は使いにくい。公は法令が厳明で賞罰を必ず行うので、兵は少なくても皆が死力を尽くそうとする。これが武の勝ちである。
- 袁紹は代々の家柄を頼み、悠然と智を飾って名誉を集めるので、才乏しく評判を好む士が集まる。公は至仁で士に接し、誠心を推して虚飾の美を作らず、身を持すること謙虚倹約で、功ある者には惜しみなく報いる。だから忠正で身を捨てる士がみな用いられたいと願う。これが德の勝ちである。
- この四つの勝ちをもって義に依って征伐すれば、誰が従わないだろうか。袁紹はこの四つを失い、忠に背いて専断している。強くても何ができようか、と。曹操は喜んだ。
- 秋七月、太尉袁紹を大將軍に拝した。
馬日磾の喪と孔融の議
- このとき馬日磾の喪が京師に還り、礼を加えようという議が起こった。少府孔融が反対して述べた。
- 馬日磾は上公の尊位にあり、旄節を持つ使者として命を受け、東方を安んじるべく直接派遣された。それなのに賊臣に媚びへつらってその意のままに動かされ、章表や任用の署名に筆頭として名を連ねた。下につき従って上を欺き、姦をもって君に仕えたのである。
- 昔、國佐は晉軍に対して屈せず、宜僚は白刃を前にしても顔色を変えなかった。王室の大臣は脅されたことを言い訳にできない。鄭の人は幽公の乱を討って子家の棺を斲った。聖人が憐れんで追及を忍びなかったとしても、礼を加えるべきではない、と。
冬十月 李傕討伐
- 冬十月、謁者僕射の裴茂が三輔の諸軍を督して李傕を討った。