後漢紀巻第二十三 孝靈皇帝 建寧四年 171年

元服と災異

  • 春正月甲子、帝が元服を加え、天下に大赦した。
  • 二月癸卯、地震があった。黄河の水が澄んだ。
  • 三月辛酉朔、日食があった。太尉劉寵と司空喬玄が災異により策書で免ぜられた。
  • 夏四月、河東で地が十二か所裂け、それぞれ長さ十餘里に及んだ。

宋皇后の冊立と董萌の死

  • 秋七月癸丑、皇后宋氏を立てた。宋隱の従孫で、掖庭に選ばれて皇后となった。父の豐を執金吾とし不期侯に封じた。
  • 冬十月戊午、上は群臣を率いて雲臺に皇太后を朝した。はじめ太后には帝を援立した功があり、竇氏は誅されたが上は心にそれを知っていたので、群臣を率いてともに朝したのである。
  • 黃門令董萌は上の意を汲んでしばしば太后のために不遇を訴え、上は深く容れて、供給と養いはいつも他と比べて手厚かった。そこで曹節と王甫はともに萌を憎み、竇后に親しく付き従い永楽宮を謗ったとして、萌を下獄させ死なせた。