正月〜二月 大赦と飢饉
- 正月戊申、天下に大赦した。
- 二月、司州・冀州で民が飢え、人が互いに食い合うに至った。詔してそれぞれの地で差を設けて賑給させた。
劉陶の上疏 朱穆・李膺の起用を求める
- 当時、梁氏の威勢が天下を傾け、しかも帝には後嗣がなく、災異がしばしば現れた。潁陰の人の劉陶が上疏した。
- 人は天地がなければ生を託せず、天地は人がなければ霊とならない。だから帝は民がなければ立たず、民は帝がなければ安んじない。天地と帝、帝と民は、頭と足のように支え合って進む一体であり、自然の勢いである。
- 今、天象は運行を誤り、日月は明るくなく、地は裂け川は溢れ、怪異が並び起こり、後嗣は絶え、民はこぞって流亡している。昔、夏の桀はこれによって廃され、殷の紂はこれによって滅んだ。悔い悟って恐れなければ手遅れになる。
- 陛下は年若く徳も盛んで、天の半ばで帝号を称し、代々続く爵を襲い、変わらぬ制度を守っておられる。目は鳴条の戦いを見ず、耳は檀車の音を聞かない。天災はすぐに肌身を痛めず、地震や日蝕はすぐに己の身を損なわない。
- それゆえ日月星の乱れを軽んじて上天の怒りを畏れず、民の飢えを気にせず憂いも少なく、地の裂ける変を見過ごし、後嗣なきの禍を軽く見ておられる。これは国家の命運にかかわり、祖業を輝かせ天の福を保つ道ではない。
- 今、忠諫する者は誅され、諂う者は賞される。よき言は忠なる舌に結ばれたまま出ず、国の命は讒言の口に握られている。閻楽に咸陽を任せ、趙高に車府を授けるようなものだ。
- 危機は仁でなければ支えられず、乱は智でなければ救えない。だから武丁は傅説を得て鼎に雉が鳴く怪異を消し、周の宣王は仲山甫を用いて幽王・厲王以来の荒廃を済った。
- ひそかに見るに、冀州刺史の朱穆と烏桓校尉の李膺はともに正道を履み、清らかに身を修め、貞潔で俗を抜いている。
- 朱穆はさきに冀州にあって豪族を弾劾摘発し、貪欲な悪人を掃討して万里を粛清し、不仁の者は遠ざかった。仲山甫が強者を畏れなかったというのも、これを超えるものではない。
- 李膺は前後の職で身を正して下を率い、軍馬を掌って北の辺境を鎮撫すると、その武威は朔州に揚がり、強い胡も漢の北で怖れた。文では祭祀の礼にあたり、武では干戈をとり、功が成れば身を退けて家に私財を蓄えない。まさに中興の良佐、国家の柱石の臣である。
- 本朝に呼び戻して王室を輔けさせるべきで、長く閑職に沈めて草莽に委ねておくべきではない。小人の道が伸びて、ついに敗れることを恐れる。
- 天威を冒して申し上げるのは正式な議ではなく、必ず身を鼎の脂として海内の物笑いの先駆けになると分かっている。だが学んだことに何の悔いもない。鬼谷の術を東斉で学ばず、蘇秦・張儀の弁を周や魏で習わず、蜀都で売卜に身を寄せず、猗頓のような蓄財にも交わらなかった。そうであってこそ王室の爵を示し、天地の位を定めることもできよう。
- 自分ははじめ天下の悲しむべきさまを悲しんだが、今や天下のほうが自分の愚かな惑いを悲しんでいる、と。
- 書が奏上され、帝はその言を善しとした。
六月 匈奴の叛乱
- 六月、匈奴が叛き、中郎将の張渙が撃ってこれを降伏させた。
- 太常の韓縯が司空となった。