後漢紀巻第十六 孝安皇帝 永初五年 111年

春正月 元日の日蝕

  • 庚辰朔、日蝕があった。
  • 本志はこう解する。正旦は王者が朝を聴く日である。当時は太后が政を執り、天子は虚位を守って号令を行えなかった。これは陽が克てない象である。
  • 乙巳、太尉の張禹が災異の責を負って策免された。

閏月以降 人材推挙と劉珍の上言

  • 閏月戊戌、詔して賢良方正・直言極諫の士をそれぞれ一人ずつ、および至孝で衆に卓越した者を推挙させた。
  • 冬、謁者の劉珍が上言した。永平の初め、虎賁中郎将の梁松が、皇太后は廟に入って陛下と交互に献ずるべきで、そうすれば至孝の心が顕れると述べた。孝明皇帝は経典に従うことに努め、公卿・博士に議させ、当時の太傅鄧禹が梁松の言のとおりにすべきだと奏したので、光烈皇后は廟に入ることになった。
  • 今の皇太后の聖徳は霊に通じ神に合致しているのだから、光烈皇后の先例どおり宗廟に入るべきであり、礼に従って古に復し万代に示すべきだ、と。
  • 事は公卿に下され、皆が劉珍の言のとおりにすべきだと答えた。