後漢書卷八十七 杜欒劉李劉謝列傳第四十七 劉瑜

劉瑜

  • 劉瑜、字は季節。広陵の人、広陵靖王の後裔。図讖・天文暦算に通じ、太尉楊秉の推挙で上京、延熹八年、驕臣虐政を憂う上疏をし、後宮の女官の過剰、宦官の養子による爵位継承の乱れ、宮女の怨嗟が水旱の災異を招くとする論を展開、阿房宮・秦の暴政を引いて土木事業と刑罰の濫用を批判した。
  • 帝はこの意見を重んじきれず、議郎に留めたが、帝崩御後、大将軍竇武が宦官誅殺を図った際に侍中として招かれ、尚書令尹勲とともに謀に加わったが、事は敗れ瑜・勲ともに誅された(竇武伝に詳細)。尹勲は剛毅な人物で、梁冀誅殺の際に方略を発揮し宜陽郷侯に封ぜられたが、竇武の乱に連座して爵を奪われた。