後漢書卷八十五 章帝八王傳第四十五 濟北惠王壽

濟北惠王壽

  • 母は申貴人。永元二年に封ぜられ、太山郡が国とされた。和帝は兄弟を京師に留める章帝の故事に倣い離京を許さなかったが、章帝崩御後就国。永初元年、鄧太后は壽の舅申轉を新亭侯に封じた。三十一年在位して薨じ、当時は戎狄の叛乱で国用が乏しく賻贈が減らされる中、壽は最も尊親として特に三千万銭・布三万匹が賜られた。
  • 子の節王登が嗣ぎ十五年で薨じ、子の哀王多が嗣いで三年で薨じ子なく、永和四年に戦郷侯安国が濟北王(釐王)に立てられた。安国の子孝王次は九歳で父を失い喪に礼を尽くし、梁太后がその孝行を称え封地を五千戸増やした。次の後は鸞・政と続き、政に子なく建安十一年に国は除かれた。