陳禪
- 陳禪、字は紀山。巴郡安漢の人。郡功曹として善を挙げ悪を黜け、州に治中従事として辟された。あるとき刺史が賄賂を受けた罪で逮捕・拷問された際、陳禪は喪服の具のみを携え五毒の拷問にも動じず釈放された。
- 車騎将軍鄧隲に辟され茂才に挙げられ、漢中の蛮夷反乱の際に漢中太守となると夷賊はその名を聞いて即座に降伏した。左馮翊を経て諫議大夫となった。
- 永寧元年、西南夷撣国王が元会で幻人(火を吐き牛馬の頭をすげ替える曲芸)を献じ、安帝と群臣が観て驚喜する中、陳禪は独り席を離れ「昔、斉魯の夾谷の会で斉が侏儒の楽を奏でたのを孔子が誅した」と諫言し、夷狄の技を宮廷で行うべきでないと述べた。尚書陳忠はこれを弾劾し、詩・礼を引いて反論、陳禪は左遷され玄菟候城障尉とされたが、朝廷でこれを訟える者が多かった。
- 北匈奴が遼東に侵入した際、陳禪は遼東太守に抜擢され、単于に礼儀と道義を説いて感化し、単于は心服して珍貨を贈ったという。のち鄧騭誅殺の際は旧吏として免ぜられたが、車騎将軍閻顕の長史に復し、順帝即位後、司隷校尉に遷り翌年官で没した。子の澄は清名があり漢中太守に至った。曾孫の寳も剛壮で禅の風があり、州別駕従事として名を知られた。