後漢書卷八十 孝明八王列傳第四十 梁節王暢
梁節王暢
- 永平十五年に汝南王に封ぜられた。母の陰貴人が寵愛を受けたため暢も特に厚遇され、国土の租入は諸国の倍であった。建初四年、梁王に徙され陳留・済陰の六県が益された。
- 就国後、暢は驕慢で法度を守らず、従官卞忌が六丁を使役して夢を占うと称し、乳母王禮らも鬼神を見ると称して祭祀を行い「王は天子となるべし」と諂った。永元五年、豫州刺史梁相の奏で暢の不道が発覚し、廷尉に召されそうになったが、和帝は忍びず成武・単父の二県を削るにとどめた。
- 暢は慙懼して長い上疏を奉り、自らの過ちを詫び、財物・小妻・奴婢・兵馬・工技を朝廷に返上することを願い出た。和帝はこれに応えて慰め、暢を安心させた。暢は二十七年在位して薨じ、子の恭王堅が嗣ぎ、以後懐王匡・夷王成・敬王元と続き、最後は彌が嗣いで魏の受禅により崇徳侯とされた。