後漢書卷七十九 王充王符仲長統列傳第三十九 王充

出自と生涯

  • 王充、字は仲任。会稽郡上虞の人。先祖は魏郡元城から移り住んだ。幼くして父を失い、郷里で孝行を称えられ、のちに京師に出て太学で学んだ。
  • 扶風の班彪に師事し、博く書を読んだが章句の暗誦にはこだわらなかった。家が貧しく書を買えなかったため、洛陽の市場の書肆で立ち読みして記憶し、諸子百家の言に通じた。
  • 郷里に帰って教授し、郡の功曹となったが、たびたび諫争して意見が合わず辞めた。俗儒が師説を墨守してかえって真実を失うことを憂い、門を閉じて思索に沈潜し、慶弔の礼も絶ち、家中に筆記具を置いて『論衡』八十五篇・二十余万言を著した。物の類同異を解き、時俗の疑惑を正す書である。
  • 刺史董勤に招かれ従事・治中となったがまもなく自ら辞して帰郷。友人の謝夷吾が上書して王充の才学を推薦した。粛宗(章帝)は特に詔して公車に召したが病のため出仕せず、年七十近くなって『養性書』十六篇を著し、嗜欲を節して精神を養った。永元年間、家で病没した。