後漢書卷六十一 郭杜孔張廉王蘇羊賈陸列傳第二十一 張堪

蜀と漁陽の善政

  • 張堪、字は君游。南陽宛の人。若くして父の遺財数百万を兄の子に譲り、長安遊学で「聖童」と称された。呉漢の公孫述討伐で兵糧欠乏の危機を察知し撤退を止めさせ、成都陥落時には庫蔵を清廉に管理し蜀人を安堵させた。
  • 漁陽太守として匈奴1万騎を数千騎で撃破、狐奴で稲田8千余頃を開き民を富ませた(「桑に岐枝なく麦は両岐」の頌歌が伝わる)。8年間匈奴の侵犯なし。蜀郡計掾樊顕が「堪は成都陥落時の莫大な財宝に手を付けず、離任時は折れた轅の車と布の衾袋のみだった」と証言し、帝が深く感嘆した逸話が伝わる。再召還の途中で病没した。