後漢書卷五十七 宣張王王杜郭吳承鄭趙列傳第十七 郭丹
信念を貫いた司徒
- 郭丹、字は少卿。南陽穰の人。7歳で孤児となり継母によく仕えた。長安遊学の際「使者の車に乗らねば二度と関を出ない」と誓い、後に本当に高車で関を出た逸話が伝わる。
- 大司馬厳尤・王莽の招聘を拒み、更始2年に諫議大夫として南陽の招降にあたり誓いを果たす。更始滅亡後も平氏を守り喪に服し、建武2年潜行して更始の遺族を助け、太守杜詩の下で功曹となり賢者を自ら推挙して代わった逸話が伝わる。
- 并州牧、匈奴中郎将、左馮翊、司徒を歴任し廉直公正で侯霸・杜林・張湛・郭伋と並び称された。鄧融事件の考課で根拠不足として策免、87歳で没した。後任の司徒范遷は清廉を貫き、妻に「後世のために財を残せ」と言われても「大臣が財を蓄えるのは示しがつかぬ」と拒み、在職4年で家に一石の蓄えもなく薨じた。顕宗が郭丹の家産を問うた際、宗正劉匡が孫叔敖の清貧の故事を引いて称えた。