後漢書卷五十七 宣張王王杜郭吳承鄭趙列傳第十七 張湛
威儀を正した儒者
- 張湛、字は子孝。扶風平陵の人。厳格で礼を好み、私室でも身を正した。「我は誠に詐なり、人は皆偽善を装うが我は善を装うのみ」と評された逸話が伝わる。左馮翊として礼制を整え善政を敷いた。
- 帰郷の際、寺門を歩いて通った理由を問われ「孔子も郷党では恭順であった、父母の国には礼を尽くすべき」と答えた。光禄勲、太子太傅を歴任し郭后廃立後は病と称し朝せず中東門候舎に住み「中東門君」と呼ばれた。戴渉誅殺後、大司徒として起用されるが、朝堂で失禁するほど衰えており辞任、数年後に没した。