後漢書卷五十四 馬援列傳第十四 馬棱

地方治績の吏

  • 馬棱、字は伯威。援の族孫。幼くして孤児となり従兄の毅と同居、毅の死後3年喪に服した。建初中、郡功曹を経て馬氏廃嫡後も義行により謁者に抜擢。章和元年、広陵太守として塩官廃止・貧民救済・陂湖の復興を行い頌徳碑を建てられた。
  • 永元2年、漢陽太守として威厳を示し、竇憲誅殺の際に軍費調達で百姓を侵したことに連座し罪を得たが、後に丹陽太守として賊を鎮圧、会稽太守・河内太守を歴任し永初中に事に坐して家で没した。

史論(総括)

  • 賛に曰く。伏波将軍馬援は冀・隴の地から南は駱越を静め西は羌種を平らげたが、老いてなお勇壮であった。子孫は明徳の代に興り、廖は三度の慎みを欠き、防はついに驕り高ぶった、と評される。