後漢書卷五十二 朱景王杜馬劉傅堅馬列傳第十二 劉隆
功臣にして皇族
- 劉隆、字は元伯。南陽安衆侯の一族。王莽期、父の礼が安衆侯崇と共に莽討伐の兵を挙げたが露見し誅殺された。隆は幼少のため免れ、更始の下で騎都尉となる。世祖に帰し馮異と共に朱鮪・李軼を拒いだが、李軼に妻子を殺された。建武2年、亢父侯。
- 田墾の実数と戸口を偽った州郡の不正を摘発した功臣の逸話が伝わる(潁川・弘農は問うても南陽・河南は問うな、との吏牘に光武が激怒し、当時12歳の顕宗(明帝)が「南陽は帝郷、河南は帝城で田宅が制を超えているため」と看破した)。この摘発で隆自身も一時投獄されたが、光武は功臣として庶人に減じるにとどめた。
- 翌年扶楽郷侯に復封され、伏波将軍馬援の副として交阯の徴側・徴貳討伐に従軍、禁谿口で破り徴貳を捕らえ千余級を斬り2万余人を降した。長平侯に改封。呉漢没後、驃騎将軍として大司馬事を代行。三十年に慎侯に定封、中元二年に没し靖侯と諡され、子の安が嗣いだ。