付記を含む一族
- 劉歙、字は経孫。光武帝の族兄である。劉歙の子・劉終は光武帝と若くして親しく、漢兵が起こると小長安・唐子に従い湖陽尉を誘殺した。更始が立つと劉歙は関へ従軍し元氏王に封じられ、劉終は侍中となったが、更始が敗れると劉歙・劉終は東の洛陽へ奔った。建武二年、劉歙を泗水王、劉終を淄川王に立てた。十年、劉歙が薨じると末子の劉燀を堂谿侯に封じ劉歙の後を奉じさせた。劉終は喪に服し思慕して二十余日哭泣した末に薨じ、長子の劉柱を邔侯に封じ劉終の祀を奉じさせ、さらに劉終の子・劉鳳を曲陽侯に封じた。
- 劉歙の従父弟・劉茂は年十八にして漢兵の起こる際に自ら「劉先職」を号し、京・宻の間に衆を集め厭新将軍と称して潁川・汝南を攻め下し衆十余万に達した。光武帝が河内に至ると劉茂は衆を率いて降り中山王に封じられたが、十三年、宗室で王であった者はみな侯に降格され、劉茂は穰侯に改封された。劉茂の弟・劉匡もまた漢兵とともに挙兵し、建武二年に宜春侯に封じられ、人柄は謙遜で永平中に宗正となった。子の劉浮が嗣ぎ朝陽侯に封じられ、劉浮の弟の劉尚は永元中に征西将軍となった。劉浮の国は孫の劉護に伝わったが子がなく国は絶えた。延光中、劉護の従兄・劉瓌は安帝の乳母・王聖の女・伯栄と私通し伯栄を妻に迎えたことで劉護の封を紹ぎ朝陽侯となり侍中に至ったが、王聖が失脚すると亭侯に貶爵された。