後漢書卷四十二 王劉張李彭盧列傳第二 李憲
自立と滅亡
- 李憲は潁川許昌の人。王莽の時に廬江属令となった。莽末、江賊の王州公らが起こり衆十余万で郡県を攻略すると、莽は李憲を偏将軍・廬江連率とし王州公を撃破させた。莽が敗れると李憲は郡に拠って自守した。
- 更始元年、自ら淮南王を称し、建武三年、ついに自立して天子となり公卿百官を置き、九城・衆十余万を擁した。建武四年秋、光武帝は寿春に幸し揚武将軍馬成らを遣わして李憲を撃たせ舒を囲み、六年正月にこれを抜いた。李憲は逃走したが、その軍士・帛意に追い斬られて降った。李憲の妻子はみな誅に伏し、帛意は漁浦侯に封じられた。
- 後、李憲の残党・淳于臨らはなお衆数千で灊山に屯し安風令を攻め殺した。揚州牧欧陽歙が兵を遣わしたが下せず、帝が討伐を議していたところ、廬江の人陳衆が従事として欧陽歙に願い出て降を諭すことを請い、単車に白馬を駕して赴き説いて降らせた。灊山の人々はその生前から祠を立て「白馬陳従事」と号した。