後漢演義第七十七回 諫めに逆らい咎めを招き呂布が命を落とし、誠意を尽くし士を遇し孫策が人物を見抜く (愎諫招尤呂布殞命 推誠待士孫策知人)

曹操、劉備を救援

  • 梁地へ落ち延びた劉備の前に曹操自ら軍を率いて現れ、劉備を励まし共に彭城へ進軍する。彭城の守将侯諧を討ち城を陥落させ(曹操は住民を虐殺)、下邳へ進む。

呂布、下邳で籠城

  • 呂布は野戦に敗れ下邳に籠城。陳宮は「将軍が城外に出て犄角の勢を作れば、操軍の糧道を断てる」と献策するが、呂布の妻嚴氏が「陳宮と高順は不仲で城を任せられない」と涙ながらに引き止め、呂布は出撃を思いとどまる。
  • 呂布は使者を袁術に送り援軍と婚姻を条件に交渉するが不調に終わり、娘を送り届けようとするも曹操軍に阻まれ失敗する。

水攻めと呂布の降伏

  • 河内太守張楊は呂布を助けようとしたが部下に殺され、援軍は実現しなかった。
  • 郭嘉の献策により沂水・泗水を決壊させて下邳城を水攻めにし、城内は混乱。
  • 呂布は禁酒令を出すが、これに背いた部将侯成を処罰しようとして恨みを買い、侯成・宋憲・魏續らが陳宮・高順を捕らえて開城降伏。
  • 呂布は白門楼で捕らえられ、曹操の前で助命を乞うが、劉備が「丁原・董卓の故事をお忘れか」と一言することで曹操は決断し、呂布と高順は縊死・梟首となった。
  • 陳宮は降伏を拒み従容と刑に赴き、曹操は涙を流して見送りつつも処刑した。曹操は陳宮の母子・呂布の妻子には累を及ぼさなかった。
  • 張遼・臧霸らは降伏し登用され、劉備は甘・糜二夫人と再会、車冑を徐州刺史代理として残し許都へ帰った。

孫策の江東経営、袁術との決別

  • 孫策は袁術と絶交し、朝廷(曹操)に接近して騎都尉・会稽太守、のち討逆将軍・呉侯に任じられ勢力を拡大した。
  • 周瑜は丹陽から居巣へ移る際に魯粛と出会い、その気前の良さと器量に感服して交友を結ぶ。魯粛は瑜に従い孫策の下へ加わり、瑜は建威中郎将に、策からも高く評価された。
  • 策は丹陽の賊帥祖郎を捕らえるが、過去の遺恨を問わず赦し登用する度量を示す。

太史慈との信義

  • 劉繇の旧将太史慈を捕らえた策は、旧怨を問わず語らい合い、太史慈に離散した劉繇の旧衆の招撫を任せて一旦解き放つ。周囲は太史慈が戻らぬと疑うが、策は「必ず戻る」と信じ、太史慈は約束通り帰還し、策との信頼関係を確かなものにした。
  • のち太史慈は劉繇死後の遺衆・豫章の情勢視察も命を果たし、策の人物眼の確かさが示された。

袁術の末路と江東平定

  • 建安四年、袁術は後宮の女性を巡る混乱や兵糧欠乏、味方の離反が重なり、帝号を袁紹に譲ろうとするも劉備に阻まれ、失意のうちに血を吐いて病死した。伝国の玉璽は徐璆の手で許都へ届けられた。
  • 孫策は周瑜の策で庐江太守劉勛を欺いて皖城を奪取し、劉勛・袁術両家の妻子を保護しつつ財物には手を付けない厳律を守った。喬公の二女(大喬・小喬)をそれぞれ策・瑜が娶り、(詩:二喬を娶った両雄の縁と、後年その夫が長命を得られなかった無常を詠む)。

評語

  • 呂布の武勇は曹操に劣らぬが智謀は遠く及ばず、陳宮の犄角策を用いず婦人の言に惑わされ、部将の離反を招いて自滅したと評す。劉備が曹操に呂布誅殺を勧めたのも自らの禍根を断つためであったとする。
  • 孫策は祖郎の旧怨を問わず、太史慈を二度まで疑わず用いたことに人物の大きさを見出し、袁術の人心離反とは対照的であったと結ぶ。