後漢演義第六十回 妖道を頼み黄巾が乱を起こし、賊営を破り夜陰に乗じて功を奏する (挾妖道黃巾作亂 毀賊營黑夜奏功)

何皇后の立后と王美人の毒殺

  • 宋皇后廃后から二年、霊帝は屠家出身の貴人・何氏を皇后に立てた。何氏は賄賂で入宮し容姿で寵愛を得て、皇子・辨(後の史侯)を生んだ子は宮外の道士の家に預けられた。
  • 王苞の孫娘・王美人も入宮し寵愛を争ったが、何皇后の嫉妬を恐れて妊娠を隠し、堕胎薬まで試みたものの効かず、皇子・恊(協)を出産。産後の王美人は何皇后の放った毒により暗殺された。霊帝は激怒したが曹節・張讓らの取りなしで何皇后の廃后は免れた。皇子・恊は董太后のもとで養育され難を逃れた。霊帝は哀悼の賦を作ったが政治的には何も改めなかった。

霊帝の遊興と売官

  • 霊帝は雒陽宣平門外に大規模な庭園を築き、後宮内に市場を設けて自ら商人を演じるなど遊興にふけった。宦官の子弟にも爵禄を与え、驢馬を乗り回すなど奢侈が流行した。地方からの貢納にも「導行費」という不正な手数料が課された。
  • 中常侍呂強は財政の私物化・宦官の蓄財・売官の弊害を上奏したが、霊帝は改めなかった。太尉・司徒・司空の人事も宦官の意のままに乱脈を極めた。

黄巾の乱の勃発

  • 鉅鹿の張角・張宝・張梁兄弟は「太平道」を称し、疫病治療の符水を用いて民心を集め、十数年で数十万人の信徒を得た。司徒楊賜・掾吏劉陶は危険性を警告したが、霊帝は放置した。
  • 張角は三十六方の組織を作り、甲子(光和七年)に「蒼天已死、黄天当立」を合言葉に挙兵を計画。大方の頭目・馬元義は中常侍を買収して内応を図ったが、弟子・唐周の密告で計画が露見し、馬元義は車裂きの刑に処された。
  • 張角らは急遽挙兵し、頭に黄巾を巻いた信徒たちが各地で蜂起(黄巾賊)。霊帝は何進を大将軍として都亭に駐屯させ、八関に都尉を置いて防備。皇甫嵩の進言で党錮の禁を解除し軍資金を放出、盧植・皇甫嵩・朱儁の三将を派遣して討伐に当たらせた。

宦官の内通発覚と粛清

  • 討伐の過程で、中常侍封諝・徐奉が馬元義と内通していたことが発覚。二人は張讓に賄賂を贈って霊帝の追及を逃れようとしたが、霊帝は諸常侍を詰問。彼らは王甫・侯覧に罪をなすりつけて許しを乞い、結局封諝・徐奉のみが処刑された。
  • 呂強は霊帝に逆党の一掃を勧めたことが趙忠・夏惲の恨みを買い、党人と結託し廃立を企てていると誣告された。呂強は潔白を訴えるべく自ら剣で自刎し、死後さらに親族が処罰された。侍中向栩、郎中張鈞も宦官批判の上奏を行ったが、いずれも誣告されて誅殺された。
  • 太尉楊賜は「外寇を防ぐにはまず内奸を除くべき」と進言したが霊帝の不興を買い罷免された。

皇甫嵩の火攻めによる大勝

  • 皇甫嵩・朱儁は潁川の黄巾賊・波才と戦うが朱儁は敗退し、皇甫嵩も長社に籠城を余儀なくされた。皇甫嵩は賊が草を結んで陣を張っているのに着目し、夜半に火攻めを敢行。強風に乗じて賊営を炎上させ、混乱に乗じて城から打って出て賊軍を大破した。
  • 明け方、別の一軍がさらに賊の退路を断つべく到着した(新たな将の登場は次回に続く)。

評語

  • 宦官の専横が黄巾の乱という外患を招いたのは、内賊が外賊を呼び込んだ古今変わらぬ衰亡の兆しであるとする。張角の企ては小知恵に過ぎないが、封諝・徐奉の内通が発覚しながら厳罰にしなかったこと、呂強のような忠臣を死に追いやり向栩・張鈞ら直言の士を誅殺したことは、霊帝の昏愚を示すものと批判する。皇甫嵩の火攻めは兵法の常道に過ぎないが、波才討伐と張角討伐の先駆けとしてその将才を評価する。