後漢演義第三十四回 外戚と群奸を退け法に伏させ、首虜を殲滅し定遠侯に封ぜられる (黜外戚群姦伏法 殲首虜定遠封侯)
丁鴻の諫言と和帝の決断
司徒袁安が憂憤のうちに没し、経学に優れた丁鴻が後任となった。丁鴻は日食を機に、外戚が権柄を握ることの危険を歴代の故事(三桓・田氏・六卿・諸呂など)を引いて上疏し、これは密かに和帝の目に届いた。すでに竇氏の専横を憂えていた和帝は、竇氏に与しない司空任隗・司徒丁鴻、そして宦官の鉤盾令鄭衆と密かに謀り、竇憲一派の一掃を計画した。清河王劉慶の協力を得て前漢の外戚誅殺の故事を調べさせ、機はひそかに熟していった。
竇氏一党の粛清
竇憲が涼州から都に召還されたその夜、和帝は鄭衆を通じて丁鴻に禁軍を掌握させ、鄧迭兄弟・郭璜父子を捕らえて処刑させた。竇憲は将軍位を解かれて冠軍侯に落とされ、竇篤・竇景・竇瓌ともに任地へ追放された。竇氏の邸宅は封鎖され、賓客・奴僕は追放された。まもなく朝廷は厳吏を遣わして竇憲兄弟に自殺を迫った。太尉宋由も連座して自殺、太傅鄧彪は辞職して事なきを得た。河南尹張酺は竇瓌の温厚な人柄を訴え、寛大な処置を求める上疏を行い、和帝は竇瓌を死一等免じた。竇固も坐罪は免れたが、竇氏の党与とされた班固は洛陽令种競の私怨により獄死した。班固の妹班昭は学識により宮中に召され、『漢書』の未完部分(八表・天文志)の編纂を命じられた。
班超の西域平定と定遠侯封
西域にあって竇氏との関わりが薄かった班超は難を免れ、都護に昇進した。月氏国王が公主を求めて拒絶されたことに怒り七万の兵で攻めてきたが、班超は籠城策で敵の兵糧を尽きさせ、援軍を求める使者を伏兵で討ち取り、窮した月氏軍を降した。以後、月氏は歳貢を続けることとなった。龜茲・温宿・姑墨も相次いで帰順し、班超は西域都護として龜茲に新王白霸を立て、なお抵抗する焉耆・危須・尉犁を諸国連合軍で討伐、王を殺した仇として陳睦の霊前で首謀者を処刑した。西域五十余国が漢に服属し、班超はその功により定遠侯に封じられた。
評語
著者は、宦官を用いて外戚を除いたことが結果的に宦官専権の禍根を残したと指摘しつつ、竇憲らが呆気なく罪に服したのはもともと凡庸な人物に過ぎず、竇太后の縦容がなければあれほど驕り高ぶることもなかったと評す。また、竇氏に阿った班固が身を滅ぼしたのに対し、異域で自ら功を立てた班超が栄達を遂げたことを対比し、人生は志を立てることが肝要であり、世俗に阿ってはならないと結ぶ。