元史卷一百九十五 列傳第八十二 綽哈

綽哈と明安図・黄紹・胡斗元・黄雲

  • 綽哈は扎拉台(ジャラタイ)氏、国子生より入官し靖安県達嚕噶齊となった。至正12年(1352年)蘄黄の賊が起こると、綽哈は県尹の黄紹とともに義兵を集め賊を禦ぐ計を立てた。まもなく賊兵数万が武寧から来寇したので、紹は行省に援を求めに赴いたが、綽哈は独り衆を率いて象湖でこれと戦い大破した。そこで進士の胡斗元・塗淵・舒慶遠・甘棠らを起用して謀画させ、勇士の黄雲を前鋒とした。2月から8月に至るまで戦うたびにしばしば勝ち、賊将の洪元帥を捕らえたが、賊党はさらに盛んになり黄雲は戦死し我が軍は挫かれ、綽哈はついに包囲され、まもなく賊に捕らえられ富州で殺された。子の明安図は父の職を継ぎ本県達嚕噶齊となったが、13年(1353年)衆を率いて敗走し賊は再び県治を攻め落とした。14年(1354年)賊兵が再び至ると明安図は迎え戦い力尽き、賊に捕らえられ支解された。
  • 紹は字を仲先、臨川の人。至正8年(1348年)進士第に登った。援を求めて靖安を出たが道は阻絶され、官軍の護衛を得て龍興に入ったが龍興もまた包囲された。後に包囲が解けると紹は明安図とともに叛境を招諭し、建昌の高坪を経る際に賊に遭遇した。紹は戦って勝てず、衣冠を正し怒って賊を罵り、害された。
  • 斗元は字を元浩、靖安の人。至正10年(1350年)江西郷薦第一に及第したが下第し鰲渓書院山長を署した。賊が靖安に至り斗元の郷里を掠めると、斗元は郷兵をもってこれを撃退し、県治に入って綽哈とともに戦守を図った。綽哈が捕らえられると賊は斗元を脅して降を求めたが、斗元は罵り屈しなかったので、土でその腰を埋めたが死ななかった。さらに暗室に縛り置かれたが、斗元は墻を押し倒して脱出し深山に逃げ入り、狂ったように罵り続けて死んだ。
  • 黄雲は撫州の人、靖安に寓居し勇猛と敏捷で知られ、戦うたびに独り身をもって敵に当たった。かつて数十人に囲まれても身を奮って躍り出たことがあったが、この時は身に数十槍を受け血を噴きながら賊を罵って死んだ。