元史卷一百七十九 列傳第六十六 蕭拜珠

出自

  • 蕭拜珠は契丹舒穆嚕(シュムル)氏。曾祖の綽納(チョノ)は古北口屯戍千戸として太祖に降り、平灤・檀順深冀等州・昌平紅螺平頂などの砦を攻略し、檀州軍民元帥に任じられ順国公を追封された。
  • 父祖の系譜は代々檀州の要職を継ぎ、順民公など追封を受けた。父哈喇特穆爾は裕宗に東宮で仕え、蕭拜珠はその子。

官歴と刑死

  • 仁宗の北征に従い檀州知州、礼部郎中、同知大都路総管府事、知中山府を歴任。中山にあって喪に服したとき、同官の讒言で仁宗の疑いを招いたが、老嫗や神祠の老人の言葉で仁宗の誤解は解けた。
  • 武宗即位後、中書左司郎中、河間路総管府、右衛率使、戸部尚書を経て御史中丞を拝命。皇慶元年(1312年)陝西行中書省右丞、延祐3年(1316年)中書平章政事、典瑞院使、崇祥院使を歴任し銀青栄禄大夫を超授された。
  • 英宗即位19日目、右丞相特們徳爾が蕭拜珠が省中で自身を牽制していたことを恨み、姦贓の罪を発して皇太后の旨に依るとして楊多爾濟とともに誅殺を請うた。帝は「人命は至重、刑殺は軽々に行うべきでない」と慎重を求めたが、ついに殺され家も籍没された。楊多爾濟・特們徳爾伝に詳しい。
  • 泰定間(1324-1328年)守正佐治功臣・太保・儀同三司・柱国を贈られ薊国公を追封、諡は忠愍。吳仲という者がその屍を三日守り、ついに葬った。