元史卷一百七十八 列傳第六十五 宋衜

出自と官歴

  • 宋衜は字を弘道といい、潞州長子の人。金の兵部員外郎元吉の孫。記誦に優れ、17歳で襄陽に避難し、のち河内に隠棲すること15年。趙璧の招聘に応じ、中統3年(1262年)翰林修撰に抜擢された。
  • 李璮の反乱時、趙璧が済南で行中書省事を執った際に随行。至元5年(1268年)大兵が襄陽を囲む間、趙璧の行元帥府事に従い軍事に諮問された。
  • 高麗の権臣林衍が国王を廃し弟を立てた際、詔により国王特訥克らとともに討伐に赴き、行省員外郎として詔を持ち江華島の民を平壌に徙し、慰労にあたった。河南路総管府判官を授けられたが赴任せず。
  • 至元13年(1276年)太常少卿となり、後に籍田署事を兼領。16年(1279年)太子(後の裕宗)に召見され侍講した。18年(1281年)秘書監、19年(1282年)江西の郡邑守令の選任を委ねられた。20年(1283年)詹事院設立に伴い太子賓客となり、23年(1286年)没した。著書に『秬山集』10巻。