元史卷一百六十七 列傳第五十四 張庭珍
出自と対高麗交渉
- 張庭珍は字を国宝といい、臨潢全州の人である。父の張楫は金の商州南倉使であった。壬辰の年、その民数千を率いて来降し、太宗は北京等路の賦課監督を命じ、まもなく北京都転運使に改めたので、そのまま北京に家を構えた。辛亥の年、憲宗が即位すると張庭珍は筆吏となった。
- 高麗が命を請わず擅に海中の江華島に遷ったため、憲宗は張庭珍を遣わして問責させた。高麗王は「臣は本朝に事えて謹まぬことはなかったが、大軍が毎年侵掠するため避けて険に走らざるを得なかった」と言い、張庭珍に金銀数千両を賄賂として贈ったが、張庭珍はこれを却け帰って状を奏聞した。帝はこれにより戍兵が擅にその地に入ることを禁じ、高麗は安堵した。
- 帝が宋を伐ち閬州に至ると、張庭珍は安撫使を授けられた。世祖が即位して自ら北伐すると、張庭珍が西京の地理に熟知しているため漠南路を進ませ、沙井の諸駅を立て糧運を兼ねて給させ、まもなく同僉土畨経略使を授けられた。