元史卷一百六十六 列傳第五十三 鞏彦暉
泗州の激戦に散った勇将
- 易州の人。兄彦栄とともに武勇で知られ千戸何伯祥に従軍。棗陽・大洪諸寨・曹武・光州・滁州・黄州で数々の奇襲戦を成功させ、泗州の攻防で敵将を刺殺し月城まで攻め上がったが、伯祥の姿を見失い救出に向かい重傷を負い、遂に投水して死んだ。年56。宋官に捕らえられても屈しなかった。
- 長子信が銀符を賜り易州等処管軍総把として父の後を継ぎ、李璮討伐、阿珠の南征、樊城・沙陽堡・鄂城の攻略に功を挙げ丁家洲でも戦功、武略将軍管軍千戸として太平州を鎮守した。子は思明・思温・思恭で、思明の眼病の間は思温が、その死後は思恭が懐孟万戸府管軍下千戸を襲職した。