元史卷一百六十六 列傳第五十三 王綧
高麗軍民統率の家系
- 高麗王㬚の甥。人質として入朝し、癸丑(1253年)高麗の権臣高令公の叛乱時に憲宗の命でヤルフ大王の東征に従い講和の使者となり現地を鎮守。中統元年(1260年)金符総管、3年(1262年)済南の李璮討伐に出兵。至元7年(1270年)高麗の臣林衍の叛乱討伐に従軍、20年(1283年)61歳で没した。
- 子アラクトゥムル(阿拉克特穆爾)が職を襲い、金通精の叛乱討伐、日本征討に従軍したが18年(1281年)の再征で戦没。庫庫特穆爾(威)が兄の職を継ぎ安遠大将軍安撫使高麗軍民総管東征左副都元帥として、24年(1287年)納延の叛乱鎮圧、塔卜台托歓大王討伐で右腕に矢傷を負いながらも敵を大破、ハタン(哈坦)図嚕の乱鎮圧などに功を挙げ、29年(1292年)三珠虎符を賜り鎮国上将軍総管高麗女直漢軍万戸府兼瀋陽安撫使高麗軍民総管に至った。