元史卷一百五十 列傳第三十七 劉亨安
絳州節度と三峰山の激戦
- 劉亨安は范陽の後裔で遼東川州に移った。兄世英が穆呼哩の遼東経略に従い戦功を重ね絳州節度使を授かったが無嗣で没し、族兄徳仁が職を継いだ。丙戌年金将伊喇副樞の絳州攻略で徳仁が戦死すると、穆呼哩の命で亨安がその衆を統べ、鎮国上将軍・絳州節度使を授かった。
- 鳳翔・秦隴・階城の攻略、三峰山での金軍撃破、蔡州平定など各地を転戦。都元帥塔齊爾の命で汴洛への宋の侵攻を龍門で撃退し「真の驍将なり」と称された。四川征討では成都西で宋将陳侍郎を捕らえた戦功を喬長官と分け合う義侠を示した。獲得した金帛は全て将佐に分与し、士卒に慕われた。癸夘年冬十二月没。子貞が嗣いだ。