元史卷一百四十九 列傳第三十六 石天應

陜西河東経略と壮絶な最期

  • 石天應、字は瑞之。興中永徳の人。太師穆呼哩に帰順し興中府尹兵馬都提控に任じられ「黒軍」と称された部隊を率い各地を転戦。辛巳年、金夏の要衝である葭州の攻略と守備・造船の重要性を説き、金紫光禄大夫・陜西河東路行台兵馬都元帥に任じられた。葭蘆に浮橋を築き、諸将の反対を退けて完成させ、周辺を平定した。
  • 河中への進駐を諫める部下に対し「河南攻略の要地である以上、大局を見て取るべき」と論じ、河中に移軍したが、金軍の奇襲に遭い、先遣した伏兵が油断で酔い伏していたため城内に敵を招き入れてしまった。天応は「かつて自分が南遷を主張した以上、今更逃げるのは武ではない」と述べ、力戦の末に戦死した。子は煥中・執中。弟天禹の子佐中は突囲して援軍を得て敵を破った。安琬(天応の孫)も金符を襲い大理征討・李璮討伐で功を立てた。