元史卷一百三十四 列傳第二十一 庫庫

王鶚に師事した近侍

  • 庫庫は字は子清、本名は黙爾竒斯氏、部族はブルハン・ホルドン地方に世居し、驍勇善騎射で諸族に畏れられた。国初に一族で内附し、世祖の潜邸で近侍に選ばれた。甲辰年(1244年)世祖が王鶚の賢を聞き避兵中の保州から徴召した際、庫庫と廉希憲を師事させた。庫庫が使いに出て戻ると王鶚は既に去っており、思慕して号泣し何日も食を絶ったため、世祖はその異なさに感嘆した。庚戌年(1250年)憲宗が再び王鶚を和琳に召すと庫庫にも随行を命じ、庫庫が毎朝身なりを飾るのを王鶚は「聖王が賢を招くのに、汝らは主上の心に称うことなく華美を誇り驕貴の気を助長させるのみ、道義の言を受け入れる余地を塞いでいる」と諫め、庫庫は悔悟し翌日から純素な装いに改め王鶚も悦んだ。
  • 壬子年(1252年)諸路の軍籍を丁壮産の多い戸から徴すよう命じられ、行く先々で公正に編籍したため人々に徳とされた。帰還後、燕京匠局を領する命を受け、世祖即位後には中書左丞に授かり、まもなく大名路宣撫使に遷り疾で卒去、享年四十。子の堅通は字は永叔、幼くして父を失い十歳で王鶚に師事、長じて国学に入り許衡にも学び、弱冠で禁廷に侍り中順大夫侍儀奉御、中議大夫同修起居注を経て、済南への使いで楊桓の賢を知り推薦した。至元二十三年(1286年)嘉議大夫礼部尚書、吏部尚書、通議大夫御史台侍御史、二十四年(1287年)東征に扈従し功を立て燕南河北道提刑按察使、二十八年(1291年)正議大夫燕南河北道粛政廉訪使、河南行省平章政事を拝命したが赴任前に疾で卒去、享年三十九。