出自と四川攻略
- 巴延は河西人。父の胡土克圖は太祖の河西征討に質子(人質軍)として従い、太祖が図魯格と号する質子軍を立てて胡土克圖を百戸とした。太宗朝、都元帥耨埓が承制して千戸に任じ西川征討に従い、呼図克叛乱を臨洮で世祖の命により蒙古漢軍で討伐、胡土克圖は軍中で卒した。
- 巴延は至元九年(1272年)征行千戸に制授、十年(1273年)宋師の成都侵攻を四川僉省厳忠範の命で迎撃し大破。行省伊蘇岱爾の嘉定攻めと行院呼敦の瀘・敘攻略・重慶攻めに従い戦功を重ねた。十二年(1275年)行院承制で東西両院蒙古漢軍万戸総帥。汪良臣が忠州で用兵した際、巴延は涪州に策応、宋人が良臣の帰路を清江で伺ったのを馳せ赴いて宋の部将李春ら十七人を捕らえ、軍資を取り戦艦を焼いた。十三年(1276年)瀘州が再叛すると行院の命で瀘の珍珠堡に赴き宋将王世昌を破り民・孳畜を捕虜とし暗溪砦に移屯、合州兵の来援を百余人生擒して戮し瀘州を克服した。行院副使布哈の重慶包囲には游撃として従い、大良平李立の遣わした諜者四人を捕らえ、重慶降伏後は宣武将軍蒙古漢軍総管に制授された。
- 十九年(1282年)総帥汪良臣に従い入見、懐遠大将軍管軍万戸に陞り金虎符に改賜された。卒後、子の塔齊爾が職を継ぎ、明威将軍興元金州万戸府達嚕噶齊を授かった。