元史卷一百三十二 列傳第十九 巴圖爾

出自とアス軍の功

  • 巴圖爾はアス特氏で上都宜興に世居した。憲宗が潜邸の頃、兄の鄂索勒布哈及び馬逹喇蘇と共に帰順した。馬達喇蘇は憲宗の穆格爾蘇城征討で先鋒を務め身に二矢を受けながら城を陥落させ、蜀の釣魚山征討で戦没した。巴圖爾は李璮征討の済南包囲で身に二十余戦の傷を負い、世祖はその能を賞し珍宝の反物を九反賜り、アス軍一千を統べ常に左右に侍った。阿都齊のもとで集賽百戸を兼務、塔布台の南征では金剛台で敵軍と戦い受賞、師還後「臣は軍に従い国のため死力を尽くしたい」と願い出て世祖に留め置かれ、博克遜を兼ねアス軍を統率し帝の乗馬を引く任も命じられた。
  • 至元二十三年(1286年)広威将軍後衛親軍副都指揮使、虎符を賜る。翌年夏、納延討伐で伊緜河に至り金嘉努・阿塔布台を捕らえ、鈔・衣段を賞され定遠大将軍を加えられた。大德元年(1297年)卒し、子の巴済拉が継いだ。至大四年(1311年)河東・陝西・鞏昌・延安・燕南河北・遼陽・河南・山東の諸翼衛と特黙齊との草地争訟二百余件の裁定を命じられ、懐遠大将軍に至った。致和元年(1328年)丞相雅克特穆爾に従い都爾蘇の党額卜徳哷勒らを捕らえ、諸衛軍を率いて居庸関等の要害を守った。天暦九年(原文のまま)十月、旺沁の兵が羊頭山の隘口を攻めた際、丞相に従い突入し旺沁を敗走させ、文宗は御衣二襲・三珠虎符・弓矢・甲胄・金帛を賜りその功を旌した。まもなく疾により辞し、子の伊埒圗が継いだ。