元史卷一百三十二 列傳第十九 摩哩

出自と海都討伐

  • 摩哩は綽克台氏。祖の実里濟諾延は太祖に従い王汗と戦った際に共に班珠爾河の水を飲んだ功臣で、千戸を授かり徹爾台部の征討諸国を領し河西で卒した。父の穆濟はその職を継ぎ太宗の中原平定に従い病で卒した。摩哩は職を継ぎ定宗に従い欽察・アス・俄羅斯(ロシア)諸国の平定に従軍、憲宗の伐宋にも功があった。
  • 世祖即位後、諸王呼琿が叛乱を起こし河西の諸城を掠めた際、摩哩は「帝の即位したばかりの時に王が叛乱の首謀となるのは看過できない」として弟の僧格達喇と共に討伐、一月で八戦し呼琿の掠めた扎拉爾・塔喇諸部民を奪回した。まもなく僧格達喇は呼琿に殺され、帝はこれを憐れんで使者に銀鈔・羊馬を持たせて摩哩を迎え、「達爾罕」の号を賜った。まもなく卒し、子の図古勒が継いだ。