出自と一族の忠勤
- 哈噶斯は阿蘇特氏でアス国の主。太宗の兵が国境に至った際、衆を率いて降り「巴圖爾」の名と金符を賜り、その土民を統べることを命じられた。まもなくアス軍千人と長子阿都齊を選んで扈駕・親征に従わせ、阿都齊はそのまま宿衛に入った。哈噶斯は帰国途上で敵と戦い戦没し、その妻威摩蘇に国の守りが命じられた。威摩蘇は自ら甲冑を着け叛乱を平らげ、後に次子阿法布に代わらせた。
- 阿都齊は憲宗の西川征討に従い釣魚山で宋兵と戦功があり、帝から直々に酒を賜り白金を賞された。額哷布格の叛に伊勒哈に従って寧夏で戦い矢を腹に受けても怯まず、世祖はこれを嘉し白金を賞して宿衛に召した。中統二年(1261年)親征に扈従、額哷布格を蘇瑪勒圗まで追撃し白金を賜る。三年(1262年)李璮討伐に従い平定。至元五年(1268年)布達台と共に南征し金剛台を破り、六年(1269年)安慶府攻略、七年(1270年)五河口攻略に功があった。
拜達勒と子孫
- 十一年(1274年)松江諸郡陥落後、鎮巣を守っていた宋降将洪福が酔わせて殺害する事件が起き、世祖はこれを憐れみ家族に白金五百両・鈔三千五百貫と鎮巣降民一千五百三十九戸を賜り、子の拜達勒に千戸を継がせ金符を佩ばせた。錫里濟の叛に拜達勒はアス軍一千を率いて雅里で昻吉爾珠爾噶岱軍と戦い、図喇・鄂勒歓の地で永和爾軍とも戦った。
- 十五年(1278年)春、巴雅爾の地で策凌軍と合戦、五月には額哩頁で威喇台・科温・綽格色らの軍と交戦、大将塔斯布哈の柵城を拜達勒が先登して抜き、右股に矢を受けた。伯楞竒黙色がその功を報告し白金を賞された。二十年(1283年)虎符を授かり定遠大将軍後衛親軍都指揮使兼阿蘇軍統帥、阿蘇巴圖達嚕噶齊となる。二十二年(1285年)巴実伯里征討、伊拉衮綽和爾で托噶博索瑪軍と戦功。二十六年(1289年)杭愛遠征で軍糧が乏しくなった際、母の諾延章が私財と畜牧を軍食に供出、世祖はこれを嘉し厚く賜賚した。
- 大德四年(1300年)拜達勒が卒し、長子烏魯斯は宿衛から隆鎮衛都指揮使に至り、次子福定が職を継ぎ懐遠大将軍、後に右阿蘇衛達嚕噶齊兼後衛軍を管領。至大四年(1311年)兄都木達が右阿蘇衛都指揮使、福定は樞密同僉に陞り遷民鎮を守り、定遠大将軍僉枢密院事後衛親軍都指揮使提調右衛阿蘇達嚕噶齊。二年後、資善大夫同知樞密院事に進み、至元年間(後至元)には知樞密院事に至った。