元史卷一百二十三 列傳第十 伊埒黙色

宋使としての節義

  • 伊埒黙色は奈曼氏、丁丑歳(1217年頃)太宗の命で断事官呼圖克鼐爾と同署し、戊戌歳、額斯倫巴圖爾とともに達嚕噶齊となり南宿州を破った。辛丑歳(1241年)宋への議和使として七十余人を率いた際「私たちは命を奉じて南下する、楚人は詐が多いので害に遭えば死をもって君命を辱めるな」と語った。淮上で宋将に「命はこちらにある、生死は頃刻の間だ、降れば官爵を得られるが、さもなくば容赦しない」と脅されたが「私は節を持って南来し国交を通じるためだ、不義に誘われるくらいなら死あるのみ」と言辞慷慨として屈しなかった。宋将は逼れないと知り長沙の飛虎寨に囚え、三十六年後に死んだ。世祖はこれを深く悼み家を復し、子の呼圖克哈斯を達爾罕として日ごと糧食を給した。呼圖克哈斯は「臣は国のために死し父の恥を雪ぎたい」と願い、帝は嘉納して上均州監戦萬戸を授けた。十八年(1281年)招討使として日本征討の兵を率い戦死した。