元史卷一百二十三 列傳第十 塔本哲爾

淮水と江南の水戦

  • 塔本哲爾は蘇爾嘉氏、太宗時に招討使として信安・河南を破った功で金虎符征行萬戸を授けられ、甲寅歳(1254年)病で卒した。子の塔齊爾が職を襲い、乙未歳(1235年)渡江して十字寨を破り、子の重喜も従軍して先んじて敵を射殺、洋隘口の戦艦を奪って流矢を左足に受けながらも勇気を増した。世祖が洋隘口北に駐蹕し「年幼くしてこのように力を尽くすとは、これからも励め」と労った。塔齊爾の卒後、重喜が職を襲い、中統三年(1262年)李璮討伐に功、四年(1263年)莒州鎮守、至元二年(1265年)十字路城の築城と南巡遊撃軍、四年(1267年)招布哈の出征で泗州北古城に至り、蔡千戸の包囲を救った。五年(1268年)入覲し白金・納竒實段・金鞍弓矢を賜り、十年(1273年)正陽城の修築、翌年宋の正陽包囲を撃退、十二年(1275年)連海諸城攻略、旨により五千人で出征し衡陽店で宋将李提轄を大破、瓜洲に駐兵した。十三年(1276年)夏六月、宋都統姜才の来攻を敗り、秋七月泰州で李庭芝らを襲撃、十四年(1277年)昭勇大将軍婺州路総管府達嚕噶齊に進み既降虎符を佩びたが、まもなく卒した。子の慶孫が職を襲い、初め宣武将軍管軍総管として安楽州守備、十六年(1279年)鎮江府に移り、十八年通州に還鎮、二十年明威将軍、二十二年十字路に移鎮、二十四年太湖で諸翼軍を領し水戦を教習、二十九年(1292年)爪哇征討で昭勇大将軍征行上萬戸に進み、出征命令を受けたが留められ、皇慶二年(1313年)卒し子の布哷齊が襲った。