元史卷一百十九 列傳第六 博囉罕

出自と歴代

  • 博囉罕は学順氏、太祖に仕えて第一千户となり戦没した。子の托歓は憲宗の四度の征伐に従い拓地の功があった。孫の實勒們は徼外を鎮め六詔等城の征討に従いやはり戦没した。曾孫が伊徹察喇。

伊徹察喇――世祖の信任

  • 伊徹察喇は仁厚勤儉で母への孝行が聞こえ、容貌も英偉であった。世祖は賢を聞き父の死を憐れみ、十六歳で召見して「實勒們に子あり」と喜び、四集賽台官の統率を命じた。至元十七年(1280年)一集賽の長となり、翌年「秉心忠実、執事敬慎、知って言わぬことなく言って尽くさぬことなし」と評されて年少にもかかわらず宣徽使に進んだ。二十六年(1289年)帝が杭愛で叛者を討った際、丞相安圖・御史大夫伊嚕勒がすでに征戦に赴いたことを理由に自らも出征を願い出て許された。

伊徹察喇――僧格弾劾と通惠河

  • 二十七年(1290年)僧格が尚書省を立てて異己を殺し刑爵を貨に代えるなど紀綱を乱すと、尚書平章政事伊蘇岱爾がその不正を伊徹察喇に密告し、伊徹察喇が奏劾して僧格は伏誅した。帝は「伊徹察喇が大姦を糾弾しその蒙蔽を暴いた」として、没収した僧格の黄金四百兩・白金三千五百兩や水田・水磑・別墅の一部を賞として与えた。湖廣行省は西に番洞諸蛮、南に交趾島夷に接する要地であったため、伊徹察喇は哈喇哈斯達爾罕を平章政事に推挙し、八年に及ぶ治績で威徳が海外にまで及び、天下は賢と称した。
  • 二十八年(1291年)都水使者が白浮の諸水を都城を経て潞河へ導く渠の開削を請うと、帝は速成と細民不役を望み、四集賽人と諸府人にこの役を専らにさせた。伊徹察喇は自ら属官を率いて畚鍤を操り、賦役に応じる者が雲集して工期通りに渠が完成、「通惠河」と名付けられ公私に便益を与えた。帝は「この渠は伊徹察喇が自ら衆を率いて成したもの」と語った。成宗即位後、開府儀同三司太保・録軍国重事樞密宣徽使、大德四年(1300年)太師を拝命した。

伊徹察喇――北辺鎮撫と淇陽王封拝

  • 叛王海都都勒斡が金山の南北を占拠して五十年近く正朔に従わず、たびたび冦をなしていた。大德五年(1301年)北師の紀律弛緩を受け晋王を副して督戦、海都都勒斡の来冦に対し大軍五隊のうち一隊を率い、緒戦は不利だったが自ら被甲して陥陣し敵背から出た軍と合わせて大破、海都都勒斡は逃走した。後に都勒斡が帰順を望んだ際、伊徹察喇は使者を通じて疾速に許すべきことを説き、瑪古哈喇(都勒斡の妻の兄弟)を通じて交渉させ、叛人が次第に帰順した。
  • 十年(1306年)冬、叛王穆爾特穆爾らが金山に屯した際、武宗が先に金山を越え伊實察喇が続いて威と利で説き、穆爾特穆爾らを降した。図們特穆爾察呼を派して部人二部十余万口を掩取した。至大元年(1308年)、諸王托和木の疑心と徹伯爾の游兵に備え、金山の陽に降人を、北に軍を屯田させて重戍する策を献じ、帝が「甚だ善し」と用いた。托和木らも去就に迷い相率いて来降し、北辺は寧んじた。帝は伊徹察喇の先世の功と自身の宣忠を称え、和琳等処行中書省右丞相・太師録軍国重事・淇陽王を封じ黄金印を佩びさせた。四年(1311年)入朝、大明殿で宴を賜りしばらくして病で薨去、宣忠安逺佐運弼亮功臣・諡忠武が贈られた。

塔齊爾――金討伐と蜀平定

  • 塔齊爾(一名布展)は伯祖父博囉罕以来太祖に仕えた家柄で、代々「和尼齊」(櫜鞬を佩び左右に侍る職)を世襲した。博囉罕は太祖の諸国平定に功が多く、穆呼哩らと並んで四傑と号された。塔齊爾はその従孫で驍勇善戦、幼くして宿衛に直った。太祖の平燕後、睿宗監国時に燕京の盗賊が富庶の家を襲う横行を止めるため、耶律楚材とともにその党を窮治し首悪十六人を誅して巨盗を鎮めた。
  • 太宗の金討伐に従い行省兵馬都元帥として河東諸州郡・潼闗・陝路を攻略し、辛夘(1231年)河中府を落とし、壬辰(1232年)睿宗軍と合流して三峯山で金兵を大破、汴城を包囲し金主の兄子曹王額爾克を人質に取った。癸巳(1233年)金主が蔡州に遷ると南薫門でも戦い、蔡州包囲に加わり、甲午(1234年)金は滅んだ。中原鎮撫のため留まり、丙申(1236年)宋の光・息諸州を破り、息州軍民一千戸を賜った。戊戌(1238年)卒した。

塔齊爾の子孫――必里克台から宋都木達まで

  • 子の必里克台が和尼齊を嗣ぎ、憲宗即位の壬子歳(1252年)四万戸の蒙古漢軍を統率して宋の両淮方面を攻め辺地を定めたが、戊午(1258年)襄陽・樊城攻めで力戦し戦死した。子の宋都木達は至元七年(1270年)金虎符を賜り蒙古軍万戸を襲い、八年(1271年)襄陽・樊城の再攻略、鄂・岳・漢陽・江陵・歸・峽諸州の攻略に功があった。十二年(1275年)昭毅大将軍として隆興出征都元帥に任じられ、李恒らと長駆して宋人を圧倒、江西十一城を平定し、さらに嶺南広東を攻略して宋が亡ぶと、還師して論功の前に卒した。