元史卷一百十八 列傳第五 布圖

伊竒喇斯氏の駙馬とその後裔

  • 布圖は伊竒喇斯氏、騎射に優れた。太祖が密使珠魯卜齊岱を額爾古納河に遣わした際、布圖はこれを太祖の使者と見抜き宿を貸し羊を饗し疲れた馬を良馬に取り替えるなど厚遇した。珠魯卜齊岱の報告を受けた太祖は喜び、皇妹特穆爾を布圖に嫁がせようとした。
  • 使者額布根岱を通じ聘礼として馬三千匹の半分を差し出す申し出があったが、太祖は「婚姻に財を論ずるとは商賈同然」と怒り、「伊竒喇斯の民が布圖に従い我に忠を尽くせばよい、財は要らぬ」として無償で皇妹を嫁がせた。その後、察察爾岱・展楚琿托音らが三万で侵攻すると布圖は使者を送って急報し、哈喇扎拉温都爾哈納らと討ってその輜重を奪い民を降した。奈曼の叛乱では太祖の召集に応じ大戦して破った。
  • 皇妹が薨じると皇女噶沁必濟が改めて嫁ぎ、哈喇巴圖の子伊克呼喇圖を侍衛につけようとしたが哈喇巴圖が拒み、布圖に討伐を命じられた。布圖は安図河で伊埓を捕え伊克呼喇圖を殺し、哈喇巴圖を卓沁河で追撃して捕らえた。太師国王穆呼哩に従い遼東西を略取した功で冠州・懿州を封じられ、西夏征伐中に病没。推忠宣力佐命功臣・太師開府儀同三司・駙馬都尉・上柱国を贈られ昌王に進封、忠武と諡された。子の繅勒噶が爵を襲った。

繅勒噶とその子孫――昌王家の武功

  • 繅勒噶は太宗に仕え穆呼哩とともに嘉州を取り民を降した功で金錦・金帯・七宝鞍を賜わり、中都で病没。娶ったのは皇子庫春の女安図公主で、生んだ女は憲宗皇后となった。子の扎古勒沁は定宗の万努討伐に従い功を立て、太宗の命で親王アチタイの女伊遜展公主を娶り、薨後は太師開府儀同三司・駙馬都尉・上柱国を贈られ昌王を襲封、忠靖と諡された。
  • 扎古勒沁の子は伊埓台・和琳。伊埓台は皇子賽音珠卜の女哈達爾罕公主を娶り図卜台を生み、ナヤン討伐に功があった。和琳は憲宗女巴雅圖公主を娶り、托哩特穆爾の叛乱を世祖の命で錫里濟らと討ち大戦の末破り、以後憲宗孫女布哷齊公主を尚し広州を封ぜられた。ナヤン・沙喇哈喇の叛乱では色徹肯とともに哈喇罕を追撃し猱河まで敗走させ、翌年また吉魯爾・徳古爾の二河間で撃破、色徹肯の制止を振り切って残敵を追撃し撃滅、烏拉河でも夜襲で全滅させた。帝より鈔・金・銀を厚く賜わり薨後は効忠保徳輔運佐理功臣・太師開府儀同三司・駙馬都尉・上柱国、昌王・忠宣と追贈された。
  • 子の阿實克は成宗朝、都勒斡の海都への叛乱討伐で膝を射抜き号泣させるほどの功を立て、成宗より珠衣を加賜され昌王に封じられ王府官属を置いた。仁宗朝には寧昌県の税入も賜わった。成宗女伊勒噶雅公主、憲宗曾孫女満達勒公主を尚し、薨後は子の巴喇実哩が昌王を襲封。
  • 和琳の従弟布哈は世祖女烏爾戩公主を尚し、その弟索隆噶は皇子莽噶拉木の女紐掄公主を娶り、その女は武宗仁獻章聖皇后(明宗の生母)となった。