元史卷一百十七 列傳第四 特穆爾布哈

鎮南王家の宣讓王・淮王

  • 特穆爾布哈は世祖の孫、鎮南王托歡の第四子。世祖の第九子托歡は安南討伐失敗のため終身帝に見えることを許されず鎮南王として揚州に出鎮、子婁章・図卜布哈・博囉布哈と嗣いだ後、幼い博囉布哈に代わり特穆爾布哈が鎮南王を嗣いだ。文宗天暦初め黄金・白金・幣を賜わり、二年(1329年)博囉布哈の成長に伴い王位を譲り、朝廷はその譲位を評価して宣讓王に改封、金印と廬州への移鎮を許した。
  • 順帝至元元年(1335年)廬州・饒州の牧地百頃を賜わり、二年市宅・鈔四千錠を賜わり王府官属の班次を有司の上とした。五年巴延の擅権で庫春布哈とともに貶されたが托克托入相で無実と分かり鎮に復した。
  • 至正十二年(1352年)廬州境内に賊が起こると、淮西廉訪使陳思謙の進言「帝室の胄として坐視すべきでない」を受け入れ、諸王竒塔特らと分道して討伐し渠帥を捕らえ廬州を平定、帝より金帯・銀鈔を賜わった。十六年庫春布哈と懷慶路鎮遏に赴き、汝潁の賊が淮を渡ると芍陂で屯軍を指揮したが、廬州陥落後は京師に帰還した。
  • 二十七年(1367年)淮王に進封され王傅等官が置かれた。翌年大明軍が京師に迫り順帝北奔に際し監国を命じられ拜慶通中書左丞相が補佐したが、京城陥落とともに戦死、享年八十三。