元史卷八十二 志第三十二 選舉二 銓法上

集賽(怯薛)出身

元初は左右宿衛を心膂爪牙とし、四集賽の子孫は代々宿衛の長を務め、自らその属を挙げることができた。集賽に仕えて久しく寵遇を受けた者は常に顕擢されたが、長官の薦用には定制があった。至元20年(1283年)、禁闥に久しく侍り門第の高い者は初受の朝命で散官を職事より1等減じ、そうでなければ2等減ずると議定。至大4年(1311年)詔して蒙古人は1等、色目人は2等、漢人は3等それぞれ降ずることとした。

臺憲(御史台)選用

大徳元年(1297年)、省議は台官に旧来選法がなく民職から選び互いに保選していたのを改め、省・台各々一選とし、台官・幕官は自ら選び、廉訪司官のみ省・台共選とし、台官が省部の人を選ぶ場合・省官が台憲の人を選ぶ場合は互いに協議することとした。至元8年(1271年)、監察御史の任満で在職に異政なき者は7品以下は1等加叙、6品以上は陞擢し、権勢を憚らず彈劾し利国便民の実ある者は別に陞除、不称の者は斟酌して銓注すると定めた。

選挙守令

至元8年(1271年)、戸口増・田野闢・詞訟簡・盗賊息・賦役均の5事が備わる者を上選とする詔。至元9年、5事備わる者は上選で1等陞、4事備わる者は1資減、3事に成があれば中選で常例通り遷転、4事不備は1資添え、5事すべて挙がらない者は1等黜降と定めた。至元23年(1286年)、勧農桑・克勤奉職の者を陞奨し、怠る者は笞罷する詔。至元28年(1291年)、路府州県はダルガチを除き長官は漢人で声望あり勲臣故家・儒吏出身で資品相応な者を選用し、佐貳官は色目・漢人を参用して政平訟理民安盗息・5事の完備を期す詔。

進用武官

  • 至元15年(1278年)、軍官で功により陞職した者は旧来子弟に襲職させ、陣亡者は承襲を許し、罷去した者は有功者に代えさせる詔。
  • 至元17年、渡江の総把・百戸で功により遷った者は総把は千戸に准じ降等承襲、百戸は遞降の職名なければ本等に従うとした。
  • 至元19年、万戸・千戸・百戸が没して子孫に承襲能力ある場合は承襲を許すが、都元帥・詔討使・総管・総把は子孫に管領のみ許し、元帥・詔討の子孫は万戸・総管の子孫は千戸・総把の子孫は百戸とし元の佩金銀符を給し、病故者は降等、陣亡者のみ本等承襲とした。
  • 至元20年(1283年)、万戸・千戸・百戸を上中下三等に分け条格を定め、3年を満として遷転を理算し、年老病故者は子弟に廕叙を許した。同年、旧制で父子相継ぎ元軍を管領し蒙古軍官を設けなかったのを改め、資考3年満で遷転通行することとし、各翼の大小軍官にも蒙古軍官を設け、征進調遣のため民官と一体の遷叙が難しいことから万戸・千戸・鎮撫は奏准の日より3年満で遷転通行、百戸以下はこの限りでないとした。軍官の功過は実跡を検して陞降し、蒙古鄂囉官(大翼万戸下の鄂囉総管府従4品、小翼万戸下の鄂囉官従5品、各千戸鄂囉官も同様)を定め、千戸に満たない鄂囉は遠を捨て近に就き小を捨て大に合併するとした。首領官の受勅牒についても元帥・詔討司経歴知事から万戸府経歴知事への換降、王令旨・行省劄付・枢密院劄付経歴の中下万戸府知事化、各翼万戸経歴知事の提控案牘への一元化などが定められた。至元24年(1287年)、父兄の職を襲おうとする者はその人を察して用いるべしとの詔。
  • 舊臣勲閥・戦功ある者の子弟はまず小職に任じ、能あれば大用する。至元25年(1288年)、軍官陣亡者は本等承襲、病故者は2等降、陣亡でも子弟に能なければ用いず、病故でも子弟に能あれば降等せず本等で用いる。大徳4年(1300年)、上都虎賁司・武衛内の万戸・千戸・百戸ダルガチが亡殁して奏准承襲の定例がないのは偏りとし、以後は各翼ダルガチ亡殁時、子弟に能あれば用いその他は止めるとした。大徳5年、軍官の不赴任・患病・出行後の私用滞留は6か月を限りとし、越限は他人に代え1年後に他職を授けるとした。大徳11年(1307年)、色目鎮撫が没しその子に能あれば依例用い、幼ければ兄弟の子から能ある者を用い、成長を待ってその職を戻すとした。至大2年(1309年)各衛翼の首領官は経歴以上が陞除されず子孫も承襲できないのは官軍と均衡を欠くとし、70歳超で散官正従4品の者は正従5品の軍官内で任用するとした。至大4年、軍官に故ある場合は嫡長子、亡ければ嫡長孫、さらに亡ければ嫡長孫の嫡長子、それもなければ兄弟の子の相応な者に継がせるとした。

太禧院・宣徽院・中政院

  • 太禧院は天暦元年(1328年)会福・殊祥二院を罷して立てられ、秩正2品、所轄諸司はその擢用に従う。
  • 宣徽院は皇慶2年(1313年)、所轄倉庫屯田官員は半ば都省・半ば本院の任用としていたのを、すべて省臣の任用に統一する旨勅した。
  • 中政院は至大4年(1311年)、諸司銭糧の選法は中書省が掌り改選人は移文で中書に給降宣勅と定め、延祐7年(1320年)皇后位下の中政院用人は懿旨により枢密院・御史台等の例に依ることとした。

直省舍人

内は相臣の興居に侍り、外は省闥の命令を伝える職で、宿衛・勲臣子弟から選ばれ、高等の2人が専ら奏事を掌る。至元25年(1288年)省臣の奏によりこの職に就く者は宣命を受けることとなり、大徳8年(1304年)60月を歴た者を政に従わせることとした。

礼儀諸職

太常寺検討(至元13年、100月で従8品)、御史台殿中司知班(至元15年、90月で正8品)、通事舍人(至元20年、本司より入流品官を選び考満で1等陞遷、未入流は侍儀舍人として中書省劄で1考従9品、至元30年〈1293〉は2・3品官子から選び両考従7品)、侍儀舍人(至元30年は4・5品官子から選び1考従9品、大徳3年〈1299〉は侍儀司が到部正従9品流官から選び30月満で朝官並みに陞転、不足時は府州儒学教授経験者を1考正9品で叙)、礼直管勾(大徳3年、太常寺の挙保による選任)、郊壇庫蔵都監2人(至大3年〈1310〉受省劄者は1考以上・受部劄者は2考以上を経て、天暦2年〈1329〉は在朝文翰衙門で国子生員から選充)などの資考規定が定められた。 巡検は至元9年(1272年)流外職任として30月1考で従9品遷叙、至元20年(1283年)60月で従9品、大徳7年(1303年)2考以上は旧例の90月出職、2考未満は120月出職とし、至元10年、腹裏巡検は任回考満で巡検内注授、未及の者は銭穀官で定奪、各処行省の巡検も同様に処理された。

腹裏・行省の鈔庫・倉庫官

腹裏諸路行用鈔庫は至元19年(1282年)州県民官内から8・9品を選び30月満で任回減1資遷叙、庫使は都省劄付で任満優遷、庫副は本路劄付で20月満、本処上戸から公選交替とした。陝西・四川・西夏中興等路の提挙司鈔庫も同様に処理し、庫官は行省移文都省による給降、鈔庫副使は各省咨で選び提領は省部選注とした。至元26年(1289年)腹裏官員の倉庫等官選任は資品を1等陞じ通理月日で陞転、江南官員は腹裏歴仕の資に応じて陞転、接連官員・福建両広官員もそれぞれ資品換算の細則が定められた。萬億庫・寳鈔総庫・八作司などは2年満(少額は1年満)、上都税務官も同様に遷転。以下、都省所轄・行省所轄の各官庁について「2周歳満」「1周歳満」の別が列挙される: - 2周歳満:都転運使司・都漕運使司・諸路寳鈔都提挙司・腹裏江南隨路平準行用庫・印造寳鈔庫・鉄冶提挙司・採金提挙司・銀場提挙司・新旧運糧提挙司・都提挙萬億庫八作司寳鈔総庫の官と首領官。 - 1周歳満:泉府司所轄富蔵庫・廩給司・四賔庫・薄斂庫、大都税課提挙司・酒課提挙司・提挙太倉・提挙醴源倉・大都省倉・河倉・通州等処倉、大都平準行用庫・焼鈔四庫・抄紙坊・幣源庫の官。 - 行省所轄も同様に2周歳満(都転運使司・都漕運使司・行諸路宝鈔都提挙司・平準行用庫・甘州寧夏府等処都転運使司・市舶提挙司・榷茶提挙司)と1周歳満(行泉府司所轄阜通庫・各処行省収支銭帛諸物庫)に分けられる。 至元30年(1293年)内外平準行用庫官の品級(提領従7品・大使従8品・副使従9品)と流官選充時の減資規定を定めた。元貞2年(1296年)倉官の闕充について出身・訳史・通事・知印・宣使・奏差経験者からの選用、収糧量に応じた陞等が定められ、通州河西務李二寺等の倉官、在都・城外の倉分(収糧5万石以上・1万石以上)についても細かく規定された。大徳元年(1297年)大都万億四庫・富寧庫・寳鈔総庫・上都万億庫官、大徳2年上都応昌倉官、大徳6年在都平準行用庫官、万億四庫知事・提控案牘についてもそれぞれ2周歳満での陞等規定が定められた。和琳実保斉巴勒噶遜孔古烈倉は従5品提挙司に改められ提挙・同提挙・副提挙が置かれ、甘粛二路には監支納・倉使・倉副が置かれた。受給庫提領・大都路永豊庫・江西省英徳路・河西務・甘粛行省豊備庫・大同倉官など各地の倉庫官についても品級と資考が細かく定められ、湖広行省・河南行省の散府司吏の倉官登用、至大2・4年および皇慶元年・延祐4年の平準行用庫・常平倉・上都平盈庫・江浙行省倉官などの規定も追加された。

税務官

至元21年(1284年)省議で辦課官を3等に分け、100錠以上は提領・使各1員、50錠以上は務使1員、50錠未満は都監1員、10錠以下は各路差人が管辦とした。都監は3界で務使に陞、務使は3界で提領に陞、提領は3界で省劄錢穀官、さらに3界で資品錢穀官・雑職に任用された。相副官の増酬に応じた再任規定、増虧分数に応じた陞降規定(至元29年)、提領の品級(1万錠以上従6品~500錠以上従8品)と大使副使の周歳交代規定(至元30年)、至大3年(1310年)の辦課例(100錠未満を上中下三等に分け都監同監4界で副使、副使4界で大使、大使3界で提領、提領3界で資品官)などが定められた。

提控案牘・都吏目の陞転

至元9年(1272年)総府続置の提控案牘は入仕年深く巡検に准じ考満で従9品転入とし、陞転資考も巡検に準じて細かく定められた。至元20年提控案牘90月で9品陞、至元25年(1288年)各路司吏60月吏目を経て2考で都目、1考で提控案牘、2考で正9品と定め、江南提控案牘も同様の処理とした。至元30年(1293年)提控案牘の巡検補注、至元31年都目・巡検の員闕処理、大徳2年(1298年)京城内外省倉典吏の吏目陞転、大徳3年提控案牘・都吏目の30月満規定、大徳8年和琳兵馬司の吏目、大徳9年都吏目の典史内銓注、大徳11年江浙省提控案牘の勅牒受給と通例、といった細則が積み重ねられた。

宣使・奏差の選取

至元19年(1282年)六部奏差の額設数(各部10名中4名は90月で従9品)、行院・行省の宣使・奏差の選取先(正従9品有解由職官、不足時は各道宣慰司・廉訪司の奏差・典吏内)、色目・漢人相参の原則、自行踏逐者の考満降等・90月出職規定が、都省・枢密院・御史台・宣政院・宣慰司・山東運司・鞏昌等処便宜都総帥府・各寺監・中政院・燕南廉訪使などそれぞれについて定められた(至元26~延祐3年、1289~1316年)。

匠官

至元9年(1272年)工部が管匠戸数(2000戸以上~100戸以上)に応じ隨路管匠官品級を議定。東平雑造提挙司・隨路織染提挙司は2000戸以上で提挙正5品・同提挙従6品・副提挙従7品、1000戸以上で提挙従5品・同提挙正7品・副提挙正8品、500~1000戸で提挙正6品・同提挙従7品・副提挙従8品、300戸以上で大使正7品・副使正8品、100戸以上で大使従7品・副使従8品、100戸未満は院長1員(不入流品)とした。至元22年(1285年)匠官陞転資格を改定し、院長120月で正9品、正9品2考で従8品、従8品3考で正8品、正8品2考で従7品……と正5品まで細かく陞等の道筋を定め、至元12年以前受宣勅省劄者は既得資品どおり、13年以後の超陞者は実歴俸月により資品を定めた。中原・江淮の匠官子弟の廕叙、至元23年(1286年)作の良否で遷転を制限する詔、至元24年管匠衙門首領官の選委規定、元貞元年(1295年)湖広行省が擬した3000戸以上の提挙司品級(提挙従5品等)も定められた。

諸王分地

至元2年(1265年)各投下総管府長官は不遷とし、所属州県長官は本投下分到城邑内で遷転する詔。至元4年、印を給する官員は宣命・諸王令旨・投下官員批劄・省府枢密院制府左右部劄付に応じて戸数により給印。至元5年、投下官は必ず蒙古人を用いる詔。至元6年、隨路現任および各投下創差ダルガチのうち女直契丹漢人は回回・輝和爾・奈曼・唐古(蒙古と同例で叙用を許す)を除き革罷、歴仕者は管民官内で叙用。至元19年(1282年)各投下長官は3年に1度遷転する詔。江南諸王分地長官の遷転、兼管軍鎮守ダルガチの署字規定(至元20年)、諸王各投下の千戸・州県長官の委用(至元20年)、諸王駙馬・百官保送人員の州県任用(至元23年)、投下州県長官の3年給由(至元30年)、諸投下ダルガチの類選(大徳元年)、投下官員の擅自離職禁止(大徳10年)、投下分地城邑長官の常選・添設の別(皇慶2年)、中下県主簿・録事司録の減置禁止と副ダルガチ増置(皇慶3年)、投下郡邑の令自置ダルガチとその副の廃止(皇慶4年)、投下の闕員は常選内人を冒用しないとの規定が定められた。

その他の官職資考規定

  • 壕寨官:至元19年(1282年)都水監が本部に併入され、壕寨官は各部奏差に准じた出身とされ、大徳2年(1298年)考満で従9品除授と定められた。
  • 入粟補官:天暦3年(1330年)河南・陝西等処の民の飢饉に際し、省臣が江南・陝西・河南等の富実の家が納粟して補官を願う場合の糧数等第と実授茶鹽流官の制度を議した。陝西省・河南并腹裏・江南三省それぞれで石数に応じた品級(従7品~旌表門閭・上中下等錢穀官)が定められ、既に虚名を遥授された者が再入粟すれば実授に切り替える規定、僧道が己の衣鉢で饑民を済う場合の師号の等級(3百石以上6字師号~1百石以上2字師号)、四川省・江浙江西湖広三省の粟の処置についても定められた。
  • 獲盗賞官:大徳5年(1301年)強盗5人を獲れば1官を与え、応捕人が5人を超えて獲れば捕盗官は1資減、15人で1等陞と定めた。
  • 控鶴傘子:至元22年(1285年)御前傘子を保充した控鶴は拱衛都直指揮使司鈴轄官進義副尉に、至元28年控鶴提控は勅により進義副尉・控鶴百戸に、元貞元年(1295年)舒庫爾齊を1年務め332月で従6品、大徳6年(1302年)控鶴百戸は巡検内で任用、延祐3年(1316年)控鶴百戸は2考以上で正9品と定められた。
  • 諤徳齊(ウデチ):至元27年(1290年)30~90月で県ダルガチ進義副尉、100月以上で敦武校尉、至大2年(1309年)は州判・県丞に権注、至大3年は90月で従7品下県ダルガチとした。
  • 蛮夷官:播州宣撫司が保挙する蛮夷軍民副長官は遠方の蛮夷ゆえ常調の職に拘らず所保に准じるが、濫挙が多いため今後は襲替の土官を除き急闕久任の者は相応な人材を挙用し、預報を許さず違反者は所由官司も罪に及ぶと定めた。

(考證の巻〈元史卷八十二考證〉は本文への校勘注のため訳出対象外とした。)