元史卷六十 志第十二 地理三

陜西諸道行御史臺

陜西等處行中書省

路4・府5・州27・属州12・属県88(本省陸站80か所・水站1か所)。

  • 奉元路(上):唐初雍州、後関内道、また京兆府、また京城を西京・中京・上都と称した。宋は陜西を秦鳳・熙河・涇原・環慶・鄜延の6路に分け、金は陜西を4路に統合。元中統3年陜西四川行省を立て京兆に治す。至元初、雲陽県を涇陽に、櫟陽県を臨潼に、終南県を盩厔に編入。16年京兆を安西路總管府に改め、23年四川に行省を置くとこの省を陜西等處行中書省と改め、大徳元年雲南行臺をここに移し陜西行臺とする。皇慶元年安西を奉元路と改称。戸33,935・口271,399(壬子年数)。司1・県11・州5(州はさらに15県を領す)を管轄。
  • 録事司
  • 県11:咸寧(下)、長安(下)、咸陽(下)、興平(下)、臨潼(下。屯田1,020頃余)、藍田(下)、涇陽(下。至元2年高陵県に編入し3年復置。屯田1,030頃余)、髙陵(下)、鄠縣(下)、盩厔(下。屯田943頃余)、郿縣(下。もと郿州で柿林県を添置していたが至元元年郿州を郿県として省き柿林を廃す)
  • 州5:同州(下。唐初同州、また馮翊、また同州に復す。宋は定國軍、金因之。元は同州のまま。県5を管轄:朝邑〈下〉・白水〈下〉・郃陽〈下〉・澄城〈下〉・韓城〈下。唐宋は郃城県、金は禎州、至元元年州を廃し2年再立、6年州はまた廃し県のみとする〉)/華州(下。唐は鎮國軍と改め宋は鎮潼軍、金は金安軍、元はまた華州に復す。西嶽華山あり。県3を管轄:華陰〈下〉・蒲城〈下〉・渭南〈下。屯田1,222頃余〉)/耀州(下。唐初宜州を立て後華原県、後また耀州。宋は感義軍、また感徳軍、また耀州のまま、金因之。元至元元年華原県を州に編入、また美原を富平に編入。県3を管轄:三原〈下〉・富平〈下〉・同官〈下〉)/乾州(下。唐は髙宗乾陵の所在により醴泉県を奉天と改め乾州に昇格。宋は醴州、金はまた乾州に復す。元至元元年奉天県を州に編入、5年復置し好畤を編入、また永夀を来属させ後に奉天を醴泉と改称。県3を管轄:醴泉〈下〉・武功〈下〉・永夀〈下。宋金は邠州に属したが至元15年麻亭に県治を徙す〉)/商州(下。唐初商州、また上洛郡、また商州に復す。宋・元とも因之。県1を管轄:洛南〈下〉)
  • 延安路(下):唐初延州、また延安郡、また延州、宋は延安府、金は鄜延路、元は延安路と改称。戸6,539・口94,641(壬子年数)。県8・州3(州はさらに8県を領す。本路屯田480頃余)を管轄。
  • 県8:膚施(下)、甘泉(下)、宜川(下。元初司候司を置き至元6年廃し宜川に編入)、延長(下)、延川(下)、安定(下。もと宋の舊堡、壬子年に安定県に昇格、至元元年丹頭県を分置し4年丹頭を本県に編入)、安塞(下。もと金の舊堡、壬子年に県に昇格)、保安(下。金は保安州、至元6年県に降す)
  • 州3:鄜州(下。唐初鄜州、また洛交郡、また鄜州に復す。宋金因之。旧は洛交・洛川・鄜城・直羅の4県を領するが元至元4年鄜城を洛川に編入、また洛交・直羅を州に併合、6年坊州を廃し中部・宜君の2県が来属。県3を管轄:洛川〈下〉・中部〈下〉・宜君〈下〉)/綏徳州(下。唐は綏州、また上郡、また綏州。宋は綏徳軍、金は州とする。帰附後嗣武を米脂に、綏平を懐寧に併合、至元4年定戎を米脂に、懐寧を青澗に併合し、また義合・綏徳を本州に併合。県2を管轄:青澗〈下〉・米脂〈下〉)/葭州(下。唐銀州、宋は晉寧軍、金は葭州と改称。元至元6年通秦・彌川・葭蘆を州に併合し太和を神木に、建寧を府谷に併合。県3を管轄:神木〈下。元初古麟州の神木寨に雲州を創立するが至元6年州を廃し県とする〉・吳堡〈下〉・府谷〈下。後唐は府州、元初州治を建てるが至元6年廃止し県とする〉)
  • 興元路(下):唐は梁州、また漢中郡、また興元府、宋はそのまま踏襲。元は興元路總管府を立て、久しく鳳・金・洋の3州を隷属させる。宋代は南鄭・西縣・褒城・㢘水・城固の5県を領し後に㢘水を南鄭に廃合。元初西縣を割いて沔州に属させ洋州の西郷県が来属。戸2,149・口19,378(至元27年数)。県4・州3を管轄。
  • 県4:南鄭(下)、城固(下)、褒城(下)、西郷(下)
  • 州3:鳳州(下。唐初鳳州、後節度府に昇格、宋は團練州。至元5年郭内の梁泉県を州に併合し興元路に隷属)/洋州(下。唐は洋州郡と改め、また洋州、後更革常なく宋はまた洋州に復す。元至元2年興道・真符の2県を州に省入)/金州(下。唐は西城郡を金州と改め、宋は金・房・開・達4州路に昇格。元は散州とする)
  • 陜西漢中道肅政廉訪司(監察官庁)
  • 鳳翔府:唐は扶風郡、また鳳翔府、西京と号す。宋金因其名。元初、平涼府・秦・隴・徳・順・西寧・鎮寧州を割いて鞏昌路に隷属させ、恒州を廃しその領する盩厔県を安西府路に隷属、間もなく鳳翔路總管府を立て至元9年散府とする。戸2,081・口14,908(壬子年数)。県5を管轄:鳳翔(下。屯田90頃余)、扶風(下)、岐山(下)、寳雞(下)、麟㳺(下)
  • 邠州(下):唐は豳州、字が幽に類するため邠と改める。宋金以来これを踏襲。県2を管轄:新平(下)、淳化(下。至元7年三水を編入)
  • 涇州(下):唐は安定郡と改め後また涇州、宋は彰化軍と改める。旧は保定・長武・靈臺・良原の4県を領する。金は保定県を涇州と改称。元初元帥府に隷属し総司を立て邠州を轄し後に鞏昌都総帥府に属し或いは平涼府に隷属、陜西省の所隷は一定せず今は直隷省。県2を管轄:涇川(下。涇州治所、すなわち保定)、靈臺(下。至元7年涇川に併合、11年復置し良原を編入、長武はまた涇州に併合)
  • 開成州(下):唐は原州、宋は鎮戎軍、金は鎮戎州に昇格。元初また原州とし至元10年皇子安西王が秦蜀を分治し開成府を立て上都に準じ上路と号すが至治3年州に降す。県1・州1を管轄:県1(開成)、州1(廣安州。もと鎮戎地、金は県に昇格し鎮戎州に隷属したが乱で荒廃、元至元10年安西王が西土を封守し開成路を立てるとともに廣安県と改め民を募って居住させ、間もなく戸口が繁夥し15年州に昇格、本路に隷属)
  • 荘浪州(下。沿革は欠。成宗大徳8年2月荘浪路を州に降す)
  • 鞏昌等處總帥府
  • 鞏昌府:唐初渭州を置き後に隴西郡と改めるが間もなく吐蕃に陥る。宋がその地を復し鞏州を置く。金は鞏昌府、元初鞏昌路便宜都總帥府に改め鞏昌・平涼・臨洮・慶陽・隆慶の5府および秦・隴・會・環・金・徳順・徽・金洋・安西・河・洮・岷・利・巴・沔・龍・大安・褒・涇・邠・寧・定西・鎮原・階・成・西和・蘭の27州を統べ、また成州で金洋州事を行う。至元5年安西州を割いてトゥシャマ路總管府に属させ、6年河州を吐蕃宣慰司都元帥府に属させ7年洮州を安西州に併合、8年岷州をトゥシャマ路に割き、13年鞏昌路總管府を立て14年また便宜都總帥府事を行い同年隆慶府・利・巴・大安・褒・沔・龍等の州を廣元路に隷属させ、21年また涇・邠2州を陜西漢中道宣慰司に隷属させ、帥府の統べる所は鞏昌・平涼・臨洮・慶陽府の凡4、秦・隴・寧・定西・鎮原・階・成・西和・蘭・會・環・金・徳順・徽・金洋州の凡15。戸45,135・口369,272(壬子年数)。司1・県5を管轄。
  • 録事司
  • 県5:隴西(下)、寧逺(下)、伏羌(下。もと舊寨、至元13年県に昇格)、通渭(下)、鄣縣(下。宋は鹽川寨と称し金は鎮とし至元17年今の県を置く)
  • 平涼府:唐は馬監として原州に隷属、宋は涇原路として平涼軍に昇格、金は平涼府を立てる。元初潘原県を平涼に、化平を華亭に併合し鞏昌帥府に隷属。県3を管轄:平涼(下。屯田115頃)、崇信(下)、華亭(下)
  • 臨洮府:唐は臨洮軍、宋は鎮洮軍、また熙州、金は臨洮府。元至元13年また渭源堡を県に昇格。県2を管轄:狄道(下)、渭源(下)
  • 慶陽府:唐は慶州、宋は環慶路として慶陽軍、また府に昇格、金は慶源路。元初慶陽散府に改め至元7年安化・彭原を併合。県1を管轄:合水(下)
  • 秦州(中):唐初秦州、宋は天水郡、金は秦州。旧は6県を領するが元至元7年雞川・隴城を秦安に、冶坊を清水に併合。県3を管轄:成紀(中)、清水(中)、秦安(下)
  • 隴州(中):唐は汧陽軍と改め、また隴州に復す。宋金は防禦使を置く。旧は4県を領するが元至元7年吳山・隴安を汧源に併合、13年防禦使を廃し散郡とする(呉山は西鎮)。県2を管轄:汧源(中)、汧陽(下)
  • 寧州(下):唐初北地郡を寧州と改める。宋金因之。元至元7年襄樂・安定・定平を州に併合。県1を管轄:真寧(下)
  • 定西州(下):もと唐の渭州西市、五代に先零に淪落。宋は定西城を置き、金は定西県と改め州に昇格、あわせて安西県を置き倚郭とし通西など2寨も置いて来属。元至元3年3県を州に併合(屯田467頃)
  • 鎮原州(下):唐は原州、また平涼郡、宋金因之。元は鎮原州と改め鎮戎州の東山・三川の2県を来属させたが至元7年例により県を州に併合し臨涇・彭陽・東山・三川の4県を本州に併合(屯田426頃余)
  • 西和州(下):唐は岷州、また和政郡、また岷州に復す。宋は西和と改める。旧は大潭・祐川など3県を領するが軍興で久しく廃絶し長道の1県のみ残る。元至元7年これも本州に併合
  • 環州(下):唐は威州と改め、宋はまた環州に復し慶州とともに環慶路とする。金は慶陽府に隷属。元初は散郡、旧は通逺の1県を領するが至元7年本州に併合
  • 金州(下):もと蘭州の龕谷寨。金は寨を県に昇格させ龕谷を金州治所とする。元至元7年県を州に併合
  • 靜寧州(下):宋の慶暦年間、渭州の隴干城に徳順軍を置き隴干県を再置。金は州に昇格。元初治平・永洛を隴干に併合し後また隴干を廃し靜寧州とする。県1を管轄:隆徳(下)
  • 蘭州(下):唐初置、後に金城郡と改め、また蘭州に復す。宋金因之。元初、阿干の1県および司候司を領するが至元7年司・県を本州に併合
  • 會州(下):唐初西會州、また栗州、また會寧郡、また會州。宋は敷文県を置き、金は寳川県を置くが河西に陥り州の西南百里に僑治し會州城を新會州と称した。元初新會州を捨て所隷の西寧県に遷り至元7年県を州に併合
  • 徽州(下):元の兵が蜀に入ると鳳州の2県が真っ先に降り鳳州は梁泉に治すことをそのまま存し、別に南鳳州を河池に治所を置き後に永寧郷を県に昇格させ両當とともに属邑とする。至元元年徽州と改め7年河池・永寧の2県を州に併合。県1を管轄:兩當(下)
  • 階州(下):唐初武州を置き後に武都郡と改め、また階州と改称。宋因之。今の州治は栁樹城にあり旧城の東80里。旧は福津・将利の2県を領するが至元7年本州に併合
  • 成州(下):唐初成州、後同谷郡、また成州に復す。宋因之。旧は同谷・栗亭の2県を領するが元初戊寅の歳、田世顯が成都府を挙げて帰附すると栗亭に遷らせ栗亭管民司事を行わせ成州に隷属させず、天水県を来属させたが至元7年同谷・天水の2県を州に併合
  • 金洋州:もと興元路に隷属。戊戌の歳、雷・李の2将が民戸を挙げて帰附すると成州に遷らせ自ら金洋州事を行わせた
  • 土蕃等處宣慰司都元帥府(至元9年、土蕃西界に寧河站を立てる)
  • 河州路(下):県3を管轄:定羌(下)、寧河(下)、安鄉(下)
  • 雅州(下。憲宗戊午の歳、雅州石泉を攻め破り守将趙順が城を挙げて降る):県5を管轄:石山(下)、瀘山(下)、百丈(下)、榮經(下)、嚴道(下)
  • 黎州(下。至元18年黎雅州民1,154戸に鈔2,308錠を給し牛具種実の資とする):県1を管轄:漢源(下)
  • 洮州(下):県1を管轄:可當(下)
  • 貴徳州(下)
  • 茂州(下):県2を管轄:文山(下)、汶川(下)
  • トゥシャマ路
  • 岷州(下)
  • 鐵州(下)
  • 碉門魚通黎雅長河西寧等處宣撫司(至元2年雅州碉門安撫使髙保四に虎符を授く。髙保四曰く、碉門は旧城邑があったが中統初め宋人に廃され、衆は山に依り柵を為して碉門の半舎を去り故城を復戍しようとしている、守佃に便利であるので秦蜀行省にその緩急を相度させるべきとし助成すべし。3年、四川行樞密院に諭し碉門岩州西南沿辺に人を遣り告諭させ、官吏軍民の帰りを願う者は方便を用いて接納し貧しい者は賑済し近裏城邑に徙りたい者には屋舎を給せしめよ)
  • 禮店文州蒙古漢兒軍民元帥府(河州以下ここまで、朶甘思・烏思藏・積石州の類は多く記載を闕き、書物の記録が疎略で詳らかにできない)

四川等處行中書省

路9・府3・属府2・属州36・軍1・属県81(蛮夷種落は含まず。本省陸站48か所・水站84か所・鹽場12か所〈井は凡そ95眼、成都・夔府・重慶・叙南・嘉定・順慶・廣元・潼川・紹慶等路の管轄州県の万山の間にあり〉)。

  • 西蜀四川道廉訪司(監察官庁)
  • 成都路(上):唐は蜀郡を益州と改め、また成都府と改める。宋は益州路、また成都府路。元初撫定し總管府を立て録事司を置く。至元13年成都・嘉定・崇慶の3府、眉・邛・隆・黎・雅・威・茂・簡・漢・彭・綿の11州を領するが後嘉定は自ら1路となり眉・雅・黎・邛が属し、20年また黎・雅を割いて吐蕃招討司に属させ崇慶を州に降し隆州を仁夀県に併合して本府に隷属させる。戸32,912・口215,888(至元27年数)。司1・県9・州7(州はさらに11県を領す)を管轄。
  • 録事司
  • 県9:成都(下。唐宋は成都府治所、至元13年本県の大城内西北隅を録事司に編入)、華陽(下)、新都(下)、郫縣(下)、温江(下)、雙流(下)、新繁(下)、仁夀(下。唐は陵州、宋は隆州、元至元20年地が荒れ民が散ったため仁夀県として成都府路に隷属)、金堂(下。宋は懷安軍に属し元初懷州に昇格し県は属したまま、至元20年州を金堂県に併合し成都府路に隷属)
  • 州7:彭州(下。唐は濛州を置き、また彭州。宋元因之。県2を管轄:濛陽〈下〉・崇寧〈下〉)/漢州(下。唐は徳陽郡、また漢州。唐から宋まで兵革に苦しみ民が疲弊。元中統元年また漢州を立てる。県3を管轄:什邡〈下〉・徳陽〈下。至元8年徳州に昇格、13年また県として成都路に隷属、18年また来属〉・綿竹〈下。至元13年戸が少なく州に併合し後復置〉)/安州(下。唐は石泉県を置き、宋は軍に昇格。元中統5年安州に昇格。県1を管轄:石泉〈下〉)/灌州(下。唐の導江県、五代は灌州、宋は永康軍、後廃止して灌口寨とする。元初また灌州を立て至元13年導江・青城の2県は戸が少なく州に省入〈青城の陶壩に屯田萬戸府を立てる〉)/崇慶州(下。唐は唐安郡、また蜀州。宋は崇慶軍。元至元12年總管府を立て20年崇慶州と改め江原県を州に併合〈本州に屯田萬戸府あり〉。県2を管轄:晉原〈下〉・新津〈下〉)/威州(下。唐は維州、宋は威州と改め保寧・通化の2県を領するが元至元19年保寧を州に併合。県1を管轄:通化〈下〉)/簡州(下。唐は益州を析いて置く、宋因之。元至元20年附郭の陽安県を州に併合、22年成都府所属の靈泉県も来隷、本州の平泉は地が荒れついに廃す)
  • 嘉定府路(下):唐初嘉州、後犍為郡、また嘉州。宋は嘉定府に昇格。元至元13年總管府を立て、旧は龍㳺・夾江・峨眉・犍為・洪雅の5県を領するが20年洪雅を夾江に併合。司1・県4・州2(州はさらに3県を領す。戸口数欠)を管轄。
  • 録事司
  • 県4:龍㳺(下)、夾江(下)、峩眉(下)、犍為(下)
  • 州2:眉州(下。唐は嘉州、また眉州に復す。元至元14年嘉定路に隷属。県2を管轄:彭山〈下〉・青神〈下〉)/邛州(唐初邛州、また臨邛郡、また邛州に復す。元至元14年安撫司を立て州事を兼行、21年臨邛・依政・蒲江の3県を州に併合。県1を管轄:大邑〈下〉)
  • 廣元路(下):唐初利州、また益昌郡、また利州に復す。宋は利州路、端平以後兵乱で無事な歳なく地は荒れ民は散り十のうち七、八。元憲宗3年利州治を立て都元帥府を設置、至元14年帥府を廃止し廣元路と改める。戸16,442・口96,406(至元27年数)。県2・府1・州4(府はさらに3県、州はさらに7県を領す。本路屯田9頃余)を管轄。
  • 県2:綿谷(下)、昭化(下。元初葭萌を編入)
  • 府1:保寧府(下。唐は隆州、また閬州、また閬中郡、後唐は保寧軍。元初東川路元帥府を立て至元13年保寧府に昇格、20年元帥府を廃止し保寧路に改め、初め新得・小寧の2州を領するが後に閬中県に併合、また奉國を蒼溪県に併合、新井・新政・西水を総じて南部県に併合し府に改めて廣元路に隷属〈本府屯田118頃余〉。県3を管轄:閬中〈下、倚郭〉・蒼溪〈下〉・南部〈下〉)
  • 州4:劔州(下。唐は始州、後劔州、宋は普安軍に昇格、また隆慶府。元至元20年劔州と改める。県2を管轄:普安〈下。至元20年普城・劔門を編入〉・梓潼〈下〉)/龍州(下。唐初龍門郡、また龍州、また江油郡、また應靈郡と改め、宋は政州と改めまた旧に復す。元憲宗の戊午の歳、宋の守将王知府が城を挙げて降り、至元22年江油・清川の2県を州に併合)/巴州(下。唐初巴州、また清化郡、また巴州。宋は化城・南江・恩陽・曽口・上通江・下通江の6県を領するが元至元20年南江・恩陽を化城に、上下通江を曽口に併合。県2を管轄:化城〈下〉・曾口〈下〉)/沔州(下。唐初興州、また順政郡、また興州、宋は沔州と改める。元至元14年廣元路に隷属、20年褒州を廃止し鐸水県のみを置いて沔州の治所を遷す。県3を管轄:鐸水〈下、倚郭〉・大安〈下。もと大安州、至元20年県に降し来属〉・略陽〈下。至元20年長舉・西縣を編入〉)
  • 順慶路(下):唐は南充郡、また梁州、また充州と改める。宋は順慶府に昇格。元中統元年征南都元帥府を立て至元4年東川路統軍司を置き後に東川府と改め15年また順慶に復し20年路に昇格し録事司を設置。戸2,821・口95,156(至元27年数)。司1・県2・府1・州2(府はさらに2県、州はさらに5県を領す)を管轄。
  • 録事司
  • 県2:南充(下。至元20年漢初を編入)、西充(下。至元20年流溪の旧県を編入)
  • 府1:廣安府(唐は宕渠・巴西・洛陵の3郡に属す、宋は廣安軍を置き、また寧西軍と改める。元至元15年寧西軍を廃止し20年廣安府に昇格、旧は渠江・岳池・和溪・新明の4県を領するが後に和溪・新明を岳池に併合。県2を管轄:渠江〈下、倚郭〉・岳池〈下〉)
  • 州2:蓬州(下。唐は蓬州郡と改め、また蓬州に復す。元初宣撫都元帥府を立て後に廃止、至元20年蓬州路總管府を立て後にまた蓬州に復す。県3を管轄:相如〈至元20年金城寨を編入〉・營山〈下。至元20年良山を編入〉・儀隴〈下。至元20年蓬池・伏虞を編入〉)/渠州(下。唐初渠州、後潾山郡、また渠州、宋は潼川府に属す。元至元11年渠州安撫司を立て20年安撫司を廃止し渠州を散郡とする。県2を管轄:流江〈下〉・大竹〈下。至元20年鄰山・鄰水を編入〉)
  • 潼川府:唐は梓州、また梓潼郡、また梓州。宋は靜戎軍、また靜安軍、また潼川府に昇格。兵後地は荒れ元初また府治を立て至元20年涪城および録事司を郪県に、通泉を射洪に、東関を鹽亭に、銅山を中江に併合。県4・州2(戸口欠)を管轄。
  • 県4:郪縣(下、倚郭)、中江(下)、射洪(下)、鹽亭(下)
  • 州2:遂寧州(下。唐は遂州、また遂寧郡、宋は遂寧府。元初これを因襲し至元19年遂寧・青石の2県を小溪に、長江を蓬溪に併合し後また州に改める。県2を管轄:小溪〈下〉・蓬溪〈下〉)/綿州(下。唐は更改常なく元初成都路に隷属、元至元20年魏城を本州に併合し潼川路に属を改める。県2を管轄:彰明〈下〉・羅江〈下〉)
  • 永寧路(下、欠):州1を管轄。筠連州(下、欠。至元17年樞密院言、四川行省参政セシェンが「先に旨を奉じ髙州・筠連・川騰川県を安撫郭漢傑に隷属させ立站させたが、漢傑がすでに蠻洞56を併合した」と陳言し、帝は「この56洞がもと髙州・筠連に隷属していたなら郭漢傑と与し立站させよ、そうでなければこれを返還せよ」と勅した。県1を管轄:騰川〈下〉)
  • 四川南道宣慰司(至元16年立)
  • 重慶路(上):唐は渝州、宋は恭州と改め、また重慶府に昇格。元至元16年重慶路總管府を立て21年上路に昇格し中・涪の2州を属郡に割き、22年また瀘・合を来属させ壁山を巴県に省き南平軍を廃して南川県の属邑とし録事司を置く。戸22,395・口93,535(至元27年数)。司1・県3・州4(州はさらに10県を領す。本路三堆・中嶆・趙市等処屯田420頃)を管轄。
  • 録事司
  • 県3:巴縣(下、倚郭)、江津(下。至元16年四川行省参政セシェンに江津県の田民180戸を賜う)、南川(下)
  • 州4:瀘州(下。唐は瀘川郡を瀘州と改める、宋は瀘川軍。元至元20年瀘川県を州に併合、22年重慶路に隷属。県3を管轄:江安〈下〉・納溪〈下〉・合江〈下〉)/忠州(下。唐は南賓郡と改め、また忠州、宋は咸淳府に昇格、元はまた忠州に復す。県3を管轄:臨江〈下〉・南賓〈下〉・豐都〈下〉)/合州(下。唐は合州、また巴川郡、また合州に復す。宋因之。元至元15年宋の安撫使王立が城を挙げて降る、20年散郡となり録事司・赤水を石照県に併合、22年州に改め重慶路に隷属。県3を管轄:銅梁〈下。元初巴川を編入〉・定逺〈下。もと宋の地名は女菁平、元至元4年便宜都總帥部が武勝軍を創建、後定逺州となるが24年県に降す〉・石照〈下〉)/涪州(下。唐は涪陵郡、また涪州。宋因之。元至元20年涪陵・樂温の2県を州に併合。県1を管轄:武龍〈下〉)
  • 紹慶府(下):唐は黔州、また黔中郡、宋は紹慶府に昇格。元至元20年また府を置く。戸3,944・口15,189(至元27年数)。県2を管轄:彭水(下)、黔江(下)
  • 懐徳府:州4を管轄(欠):來寧州(下)、柔逺州(下)、酉陽州(下)、服州(下。みな欠)
  • 夔路(下):唐初信州、また夔州、また雲安郡、また夔州に復す。宋は帥府に昇格。元至元15年夔州路總管府を立て施・雲安・萬・大寧の4州を隷属させ、22年また開・達・梁山の3州が来属。戸20,024・口99,598(至元27年数)。司1・県2・州7(州はさらに5県を領す。本路屯田56頃)を管轄。
  • 録事司
  • 県2:奉節(下)、巫山(下)
  • 州7:施州(下。唐は清江郡と改めまた清化郡、また施州に復す。宋因之。旧は清江・建始の2県を領するが元至元22年清江を州に併合。県1を管轄:建始〈下〉)/達州(下。唐は通州、また通川郡、また通州に復す。宋は達州と改め、元至元15年四川東道宣慰司に隷属し22年夔路に属を改める。県2を管轄:通川〈下〉・新寧〈下〉)/梁山州(下。もと梁山県、宋は梁山軍に昇格。元至元20年州に昇格。県1を管轄:梁山〈下〉)/萬州(下。唐は浦州を萬川と改め、また南浦郡、宋は浦州。元至元20年南浦を萬州とする。県1を管轄:武寧)/雲陽州(下。唐は雲安監、宋は安義県を置くが後また監に復す。元至元15年雲安軍を立て20年雲陽州に昇格し雲陽県を編入)/大寧州(下。もと大昌県、宋は監を置く。元至元20年州に昇格し大昌県を編入)/開州(下。唐は盛山郡と改め、また開州に復す。宋元因之)
  • 叙南等處蠻夷宣撫司
  • 叙州路:古の僰國、唐は戎州、貞觀初め治を僰道に徙し蜀江の西三江口。宋は上州に昇格し東川路に属し後に叙州と改称。咸淳年間、髙山に城を登り治所とする。元至元12年郭漢傑が城を挙げて帰附、13年安撫司を立てるが間もなく山城が毀れ三江口に治を徙し安撫司を廃止し叙州とする。18年また路に昇格し諸部蠻夷宣撫司に隷属。県4・州2を管轄。
  • 県4:宜賓(下)、慶符(下)、南溪(下)、宣化(下。元貞2年本県に萬戸府を置き軍屯田40余頃を領す)
  • 州2:富順州(下。唐は富義県、宋は富義監、後に富順県と改める。元至元12年富順監安撫司に昇格させ20年安撫司を廃止し富順州に昇格)/髙州(下。古の夜郎の属境、烏蠻と隣接し長寧軍の地と相接す。均しく西南羌族で前代は化外として論じられなかったが、唐は辺地を開拓し本部に髙州を立てた。宋は長寧軍を設けたが十州の族姓はみな元に効順した。至元15年雲南行省が官を遣わし招諭し内附、17年知州郭安復が州事を行うが蠻人は村囤に散居し県邑・郷鎮なし)
  • 馬湖路(下):古の牂牁の属地、漢唐以来馬湖部と呼ぶ。宋の時代蠻主がこの湖内に屯す。元至元13年内附し後總管府を立て夷部溪口の馬湖南岸に遷り府治を創建。その民は山箐に散居し県邑・郷鎮なし。軍1・州1を管轄(初め馬湖蠻が来朝し独本葱をたびたび貢献したため郡県は逓送に疲弊、元貞2年これを勅罷す)。
  • 軍1:長寧軍(唐は長寧等覊縻14州56県を置き瀘州都督府に並隷属。宋は長寧の地を要衝として長寧軍に昇格させ安寧県を立てる。元至元12年郡守黄立が城を挙げて効順、22年録事司を設置し後に安寧県とともに本軍に省入)
  • 州1:戎州(下。もと夜郎国の西南蠻種で大壩都掌と号し分族19。前代は化外として論じられなかったが唐の武后時代に蠻徼を開拓し14州5団29県を設置し本部に晏州を置く。元至元13年セシェンを蠻夷部宣撫司とし官を遣わし招諭、17年本部官トゥランニュウが来見し大壩都總管を授かる、22年戎州に昇格。叛服常なく州治は箐前にあり所領はみな村囤で県邑郷鎮なし)
  • 上羅計長官司:蠻地の羅計・羅星を領す。古の夜郎境で西南種族。前代は化外に置かれたが宋は長寧軍十州を設け族姓はみな効順しおのおの官を命ぜられた。後に分姓し他に居し上下羅計の分がある(唐の覊縻の類)。元至元13年蠻夷部宣慰セシェンが本部の夷酋トゥライアダンを引き帰順させ、15年トゥライアダンに千戸を授け、18年黎州同知李竒が武畧将軍として羅星長官に充ち、22年夷人が叛き上羅星の夷を誘い行樞密院がこれを討平した。その民人は村箐に散居し県邑郷鎮なし
  • 下羅計長官司:蠻地を領しその境は烏蠻に近く叙州長寧軍と相接し均しく西南夷族で上羅計と同じ。至元12年長寧知軍が真っ先に内附、13年セシェンが本部夷酋トゥヤンガを行樞密院に引き降奏させ下羅計蠻夷千戸に充つ、22年諸蠻がみな叛くもこの部だけは異心なし
  • 四十六囤蠻夷千戸所:豕蛾夷地を領し夢符に在り南は定川に抵る、古夜郎の属で唐の覊縻定州の支江県。至元13年慶符県に収附し僑して千戸所を置き46囤を領す(黄水口上下落骨・山落牟許滿吳・麽落財・麽落賢・騰息奴・屯莫面・落搔・麽落梅・麽得幸・上落松・麽得㑹・麽得惡・落魂・落昧下村・落島・麽得享・落燕・落得慮・麽得了・麽騰斛・許宿・麽九色・落搔屯右・麽得晏・落能・山落寡・水落寡・落得擂・麽得具・麽得淵・騰日彯・落昧上村・賴扇・許焰・騰朗・周頭・賣落炎・落女・愛荅洛・愛荅速・麽得奸・阿郎頭・下得辛・上得辛・愛得婁・落鷗)
  • 諸部蠻夷(以下はおのおの蠻夷官を設置):秦加大散等洞、斜崖冒朱等洞、隴堤紂皮等洞、石耶洞、散毛洞、彭家洞、黒土石等處、市備洞、樂化兀都刺布白享羅等處、洪望冊徳等族、大江九姓羅氏、水西、鹿朝、阿永蠻部(至元21年酋長アニが入覲し「阿永は隣境の烏蒙等蠻とみな皇太子位に隷属している、例により付属を願う」と自ら述べ、これに従い阿永蠻を宮府に隷属させた)、師壁洞安宣撫司、永順等處軍民安撫司、阿者洞、謝甲洞、上安下壩、阿渠洞、下役洞、驢虛洞、錢滿等處、水洞下曲等寨、必藏等處、酌宜等處、雍邦等寨、崖筍等寨、冒朱洞、麻峽柘歌等寨、新附嵬羅金井、沙溪等處、宙窄洞、新容采洞

甘肅等處行中書省

路7・州2・属州5(本省馬站6か所)。

  • 河西隴北道肅政廉訪司(監察官庁)
  • 甘州路(上):唐は甘州、また張掖郡。宋初は西夏に拠られ鎮夷郡と改め、また宣化府を立てる。元初甘州の名を踏襲、至元元年甘肅路總管府を置き8年甘州路總管府と改め18年行中書省を立て河西諸郡を統制。戸1,550・口23,987(至元27年数。本路黒山・満峪泉水渠・鴨子翅等処の屯田1,160余頃)
  • 永昌路(下):唐は涼州、宋初西涼府、景徳年間西夏に陥る。元初また西涼府としたが至元15年永昌王の宮殿所在地として永昌路を立て西涼府を降して州とし隷属させる。西涼州(下)
  • 肅州路(下):唐は肅州、また酒泉郡。宋初西夏に拠られる。元太祖21年西征し肅州を攻め下す、世祖至元7年肅州路總管府を置く。戸1,262・口8,679(至元27年数)
  • 沙州路(下):唐は沙州、また燉煌郡。宋はなお沙州とするが景祐初め西夏が瓜・沙・肅3州に陥り河西故地を尽く得る。金因之。元太祖22年その城を破り八都大王に隷属、至元14年また州を立て17年沙州路總管府に昇格し瓜州を隷属させる(沙州は肅州から1,500里、内附貧民が糧を乞う場合沙州は必ず肅州に告げてから給せねばならず不便なため沙州を路に昇格させた)。瓜州(下。唐は晉昌郡と改めまた瓜州に復す。宋初西夏に陥り夏亡ぶと州は廃す。元至元14年また立てるが28年民を肅州に徙し名のみ存す)
  • 額齊訥路(下):甘州の北1,500里にあり城の東北に大澤あり。西北は沙磧に接す。すなわち漢の西海郡、居延の故城で夏国はかつて威福軍を立てた。元太祖21年内附し至元23年總管府を立てる(23年額齊訥總管ホタラが「所部に耕作可能な田があるので新軍200人を発し額齊訥地に合即渠を鑿ちたい、傍近の民と西僧の余戸を併せてその力を助けたい」と乞い、これに従い屯田90余頃を計る)
  • 寧夏府路(下):唐は靈州に属す。宋初廃して鎮とし畨部を領す。唐末より拓㧞思恭が夏州を鎮め代々銀・夏・綏・宥・静5州の地を有す。宋の天禧年間、孫の徳明に伝わり懐逺鎮を城として興州とし後に興慶府に昇格、また中興府と改める。元至元25年寧夏路總管府を置く(至元8年西夏中興等路行尚書省を立て元貞元年寧夏路行中書省を廃止しその事を甘肅行省に併せる)。州3(本路は隸園納琳站等処の屯田1,800頃)を管轄。
  • 靈州(下。唐は靈州、また靈武郡。宋初夏国に陥り翔慶軍と改める)
  • 鳴沙州(下。隋は環州を置き鳴沙県を立てる。唐は州を廃し県を靈州に隷属させたが宋は夏国に沒しなお旧名。元初鳴沙州を立てる。屯田440余頃)
  • 應理州(下。闌州と境を接し東は大河を阻み西は沙山に拠る。図志を考えるに唐の靈武郡地、州城の建立の始めは未詳。元初なお州を立てる)
  • 山丹州(下):唐は刪丹県として甘州に隷属。宋初西夏の有となり甘肅軍を置く。元初アジグ大王の分地となり至元6年山丹城事を行い刪の字を訛って山丹とし22年州に昇格し甘肅行省に隷属
  • 西寧州(下):唐は鄯州を置き湟水県を治める。上元年間吐蕃に沒し青唐城と号す。宋は西寧州と改める。元初チャギト駙馬の分地となり至元23年西寧州等処拘㩁課程所を立て24年チャギトを寧濮郡王に封じその地を鎮めさせる
  • 烏梁海路(憲宗4年、黒水城の北の烏梁海西闗口より河西に入り西夏の将髙令公を獲り烏梁海城を克す)