元史卷四十八 天文志第一 天文一
総説
- 司天の学は古来重んじられてきた。『易経』に「天は象を垂れて吉凶を示す」とあり、また「天文を観て時の変化を察する」ともいう。堯が羲和に命じて日月星辰を暦象させ、舜が璣衡(渾天儀の原型)で七政を整えたように、国を治める者は天文の観測を怠らなかった。
- 古来、天体運行を説く学派には周髀・宣夜・渾天の三家があった。周髀・宣夜は早くに絶え、渾天の学も秦代には伝わらなかったが、漢の洛下閎が初めてその術を得て渾儀を作り天を測った。以後、時代ごとに受け継がれたが、巧拙は担い手の力量による。
- 北宋が靖康の乱で滅ぶと儀象の器はすべて金に帰し、元が燕(大都)に興った当初は金の旧器を用いたが規環が合わず使いにくかった。そこで太史郭守敬が現れ、簡儀・仰儀をはじめ諸儀器・表を創案した。いずれも精妙を極め、古人の及ばぬ卓見であった。
- 郭守敬は、昔の人が管で天の宿度を窺うと余りの分がおおよそでしか得られなかったのに対し、二本の線を用いて観測すれば余りの微細な分まで考証できると説いた。さらに当時、四海の各地に日影を測る場所を二十七箇所設け、東は高麗、西は滇池、南は朱崖、北は鉄勒に至るまで及んだ。これも古人の及ばぬ事業であった。
- それから八十年、司天の官はこの方法を守り続け、日月の薄食・五星の凌犯・彗星や飛星・暈珥・虹霓・妖気・雲気など天文占候にかかわる事柄はすべて記録に残されている。
- かつて司馬遷が『史記』天官書を作り、班固・范曄がこれに倣って天文志を作った際には、星辰の名称・分野・次舎・推歩・候験について詳しく記された。『晋書』『隋書』の天文志は実は唐の李淳風の撰であり、二十八宿の躔度、日月五星の次舎、時日の災祥の応、分野の吉凶の別について極めて詳備で、後世の作者もこれに勝るものはなかった。
- それゆえ欧陽脩は『新唐書』天文志で、まず法象の器具を述べ、次に日月食・五星凌犯・星変の異常を記し、前史にすでに載る事柄は省いた。近代の史官が『宋史』天文志を作るときはまず儀象の諸篇を載せ、『金史』天文志を作るときは日月五星の変のみを記録した。璣衡の制は『書経』に、日星風雨霜雹雷霆の災異は『春秋』に記されているが、これは史官の法として当然のことであり、聖人の経に合わせようとしたものである。そこで今、元における事例に基づき『元天文志』を作る。
簡儀
- 簡儀(郭守敬が創案した簡略型渾天儀)の制は次のとおりである。四方に趺(土台)を作る。縦は一丈八尺、その三分の一を除いたものを幅とする。趺面の上幅は六寸、下幅は八寸、厚さは上幅と同じ。中に三本の横桁・三本の縦桁を配し、南に二本、北に一本、南は中桁に届かせる。趺面の四周に水渠(深さ一寸、幅はそれに五分加える)を設け、四隅に礎を趺面の内外にそれぞれ二寸出して置く。礎の周りには渠(深さ広さ各一寸)を巡らせ、四周の渠と通じさせる。さらに卯酉(東西)の位置に礎を置き、幅は四隅の礎より広く、長さは広さの三分の二だけ加える。水渠も同様にする。
- 北極雲架柱は二本、直径四寸、長さ一丈二尺八寸で、下部は鼇雲(亀の雲形飾り)とし、乾・艮の二隅の礎の上に左右内向きに立て、傾斜は赤道に準じて上部の規(環)に接続する。規環は直径二尺四寸、幅一寸五分、厚さはその倍。中央には距(支持材)を斜め十字に交差させ、幅・厚さは規と同じ。中心に竅(孔)を設け、上部は幅五分・方一寸半、下部は幅二寸五分・方一寸として北極の樞軸を受ける。雲架柱から斜め上、趺面から七尺二寸のところに横桁を設け、その桁の中心から竅の中心まで六尺八寸とする。さらに龍柱二本を卯酉の礎の中央より北に、下部を山形にして北向きに斜めに立て、北架を支える。
- 南極雲架柱二本は卯酉の礎の中央より南に立て、広さ厚さ形状は北架と同一とし、坤・巽の二隅に向け斜めに交差させて十字形とする。その上端は百刻環の縁と同じ高さとし、辰・巳・未・申の間に位置する。南への傾斜は赤道に準じ、長さはそれぞれ一丈一尺五寸とする。趺面から斜め上へ三尺八寸のところに横桁を設けて百刻環の下辺を支え、龍柱二本を坤・巽の二隅の礎上に北向きに斜めに立てる。その先端の形状は北柱と同じにする。
- 四游双環は直径六尺、幅二寸、厚さ一寸で、中間を一寸離して連結し、子午・卯酉のところで連結する。子午のところには円い竅を設けて南北極の樞軸を受け、両面に周天度分を並べ、南極から北極まで刻み、余分は北極に付す。南北の樞竅から両側四寸のところにそれぞれ直距を設け、幅厚は環と同じにする。距の中心にそれぞれ横関を設け、東西で両距と連結し、幅厚も同様にする。関の中心の連結部の厚さは三寸とし、竅を方八分に開けて窺衡(観測用のバー)の樞軸を受ける。
- 窺衡は長さ五尺九寸四分、幅厚は環と同じ、中腰に円い竅(直径五分)を設けて樞軸を受ける。衡の両端は圭首(尖った形)とし中央を求めやすくする。圭首から五分下げたところに側立の横耳(高さ二寸二分、幅は衡の面と同じ、厚さ三分)を設け、中央に円い竅(直径六分)を設けて、その中心の上下に一本の線を引いて度分を知る目安とする。
- 百刻環は直径六尺四寸、面の幅二寸、周囲に十二時・百刻を配し、一刻を三十六分とする。厚さは二寸、半分から上は幅三寸とし、十字距を設けて赤道環を支える。百刻環の内側の広い面には円軸を四つ横に取り付け、赤道環が滑らかに回転できるようにする。この環は南極架に一寸食い込ませ、釘で固定する。
- 赤道環の直径・広さ・厚さはみな四游環と同じで、面には周天度分を細かく刻む。中央に十字距を設け、幅三寸、中を一寸空けて厚さ一寸とし、中心に竅(直径一寸)を設けて南極の樞軸を受ける。界衡は二本、それぞれ長さ五尺九寸四分、幅三寸で、衡首は五分斜めに削り度分を刻んで環面に対応させる。中腰に竅を設け、赤道環の南極樞軸をその上に重ねて置く。衡の両端は、長い竅の外縁から衡首の底までの厚さを倍にし、二つの衡が運転する際にいずれも環面に密着して傾きが生じないようにし、度分を読みやすくする。
- 二極の樞軸はいずれも鋼鉄で作り、長さ六寸半のうち半分を本(軸受け部)とし、半分を軸(回転部)とする。本の寸法は上規の距の中心にちょうど適合し、軸の直径一寸を容れる。北極軸の中心には孔を開け、孔の底は横に貫通させ、両側から一本の線を通してその根本を曲げ、横孔の両側に出して結ぶ。孔の中の線は三分残してこれも結ぶ。上下にそれぞれ一本の線を通し界衡の両端に貫通させる。中心に孔を開け、下は衡の底に通じさせ、衡の中心に沿って渠を作って線を受け、内界の長い竅の中まで直接入れ、衡の中腰まで達したところで再び孔を設け、衡の底から出して結ぶ。
- 定極環は幅半寸、厚さはその倍とし、いずれも弓なりの形にして中の直径は六度(約一寸ほど)とする。極星は不動の点から三度離れており、ちょうど回転を容れる大きさである。中央には斜め十字の距を設け、幅厚は環と同じくし、上規の環の距の中心に連結する。孔の直径は五釐で、下は北極軸心まで六寸五分。また銅板を南極雲架の十字に連結する。方二寸、厚さ五分、北面はその中心を削り一釐だけ厚みを残す。中央に円孔(直径一分)を設け、孔の中心は下って南極軸心まで六寸五分とする。
- さらに環を二つ作る。一つは陰緯環といい、面に方位を刻み、趺面の縦横桁の北の十字を中心にして水平に置く。もう一つは立運環といい、面に度分を刻み、北極雲架柱の下、水平な陰緯環の中心に接する位置に設置する。上は架の横桁に、下は趺輄の十字に達し、上下にそれぞれ樞軸を設けて回転できるようにし、中央に直距を設け、その中心に竅を開けて窺衡を取り付け、俯仰させて日月星辰の出地度分を観測できるようにする。
- 以上の四游環は東西に運転し南北に低仰させ、あらゆる七政(日月五星)や列宿・中外官の去極度分を測ることができる。赤道環を回転させて列宿の距星と一致させ、界衡を回して両線を対応させれば、日月五星や中外官が宿度に入る度分を測ることができる。百刻環を回して界衡を日と対応させ、その真下の時刻が昼刻であり、夜は星でこれを定める。旧来の儀器に比べ、日月五星の出没を測るのに陽経陰緯の雲柱の影に妨げられることがないという利点がある。
- 渾象(天球儀)の制は円く弾丸のような形で、直径六尺、縦横に周天度分を描く。赤道は中央に位置し、両極からそれぞれ周天の四分の一離れる。黄道は赤道の内外にそれぞれ二十四度弱で出入りし、月の通り道である白道は不定に出入りする。竹の篾(へら)を用いて天度を均等に分け、黄道の交わる点を観測して随時位置を移す。まず簡儀を用いて到達した宿・去極度数を測り、それを図上に照らし合わせて校正し、黄道・赤道の遠近疎密が一目でわかるようにする。さらに算数を参照して基準とする。この渾象は方形の匱(箱)の上に置かれ、南北極は匱面から出入りしてそれぞれ四十度太強、半分が見え半分が隠れる。機械の輪牙は匱の中に隠されている。
仰儀
- 仰儀の制は銅で作り、形は釜のようで、煉瓦造りの台の上に据える。器面に周天度を描き、縁に十二辰の位置を配する。上から見下ろして天体を観測するための器である。
- 銘には、天の広大さを人の力で測ろうとする心構え、深さ六尺・広さもその倍とする釜の寸法、方位の定め方、極の入地・出地の角度による地域差(たとえば林邑では極の高さ十五度、鉄勒では深さ五十度余りというように南北の緯度によって観測結果が異なること)、日食・寒暑・昼夜長短の観測法、渾天・蓋天など諸説の優劣を論じず観測に基づいて判断すべきこと、そしてこの器が後世に長く伝わることを願う言葉が刻まれている。
大明殿燈漏
- 燈漏の制は、高さ一丈七尺、架は金で作る。曲がった梁の上、中央に雲珠を設け、左に日、右に月を配し、雲珠の下にさらに一つの珠を懸ける。梁の両端は龍首で飾り、口を開き目を動かして水位の緩急を確認できるようにする。中梁の上には戯珠龍が二体あり、珠の上下によって水位の均一さを見ることができる。これらはいずれも単なる装飾ではない。
- 灯の玉は金や宝物を交えて作られ、内部は四層に分かれる。上部の環には四神を配し、日月と参・辰の位置を示す。左に回転する日が一周すると、次いで龍・虎・鳥・亀の像が各自の方角に位置し、刻限に応じて跳び踊り鐃を鳴らして内部と呼応する。さらにその次の層には百刻を配分し、上には十二神を並べ、それぞれ時刻を報せる牌が現れ、その時刻になると四つの門が同時に時を告げる。また一人が門の内に立ち、常に手でその刻数を指し示す。下の四隅には鐘・鼓・鉦・鐃をそれぞれ一体ずつ配し、一刻ごとに鐘を二回、鼓を三回、鉦を四回、鐃を打ち、時の始まりと正刻にはいずれも同様に鳴らす。その機構は櫃の中に隠され、水力によって作動する。
正方案
- 正方案は四尺四方、厚さ一寸、四周は縁から五分離して水渠を設ける。まず中心を定めて十字を描き、外側は水渠まで届かせ、中心から一寸離れたところに円い規(同心円)を描く。そこから外側へ一寸ごとに規を描き、全部で十九の規を設ける。最も外側の規の内側三分のところにさらに重ねて規を描き、周天度をあまねく配分する。中心には直径二寸の円を作り、高さも同じくする。中心の底を貫いて臬(表柱)を立て、高さ一尺五寸とし、南至(夏至)には五寸減じ、北至(冬至)には倍にする。
- 四方を正すには、案を平地に据えて渠に水を注ぎ、水面が平らになるのを見てから中心に臬を立てる。臬の影が西側の外規に入るところに墨で印をつけ、影が動くたびに印を付けていき、東側の外規に出るところで止める。出入りする各規の交点はいずれも線で測り、その半分を折って中心とし、印と臬とが相当し、かつ影が最短になったところで南北が正しく定まる。さらに各規の印をあまねく調べて南北を確定する。南北が定まれば東西もそれに従って定まる。
- ただし二至の前後は日の軌道の東西の動きが南北に対して差が少ないため、外規の出入りの影で東西を求めればほぼ正確だが、二分の前後は日の軌道の東西の動きが朝夕で一定しないため、外規の出入りの影は頼りにならないことがあり、必ず内規に近い影を基準にし、さらに数日にわたって校正すればより正確になる。
- 測定に用いる方法として、まず所在地の北極出地の度数を測り、その度数だけ案の地平線から上へ、対する南極入地の度数の分だけ下へ、墨で中心を通る斜線を引く。さらに中心を横切る形で斜線を交差させて十字とすれば、これが天の赤道の斜めの勢いを示す。そこで案を側面に立てて縄を垂らして正しく調整すれば、儀器や渾象を設置する際の基準となる。
圭表
- 圭表は石で作り、長さ一百二十八尺、幅四尺五寸、厚さ一尺四寸、台座の高さ二尺六寸とする。南北両端には円い池(直径一尺五寸、深さ二寸)を設け、表から北へ一尺のところと表の梁の中心とが上下で一直線になるようにする。外側百二十尺の中心には幅四寸の溝を作り、両側にそれぞれ一寸幅で尺寸の目盛りを刻んで北端まで達させる。両側から一寸離れたところに渠(深さ広さ各一寸)を作り、南北両方の池と通じさせて水準を取る。
- 表の長さは五十尺、幅二尺四寸、厚さは幅の半分とし、圭石の南端に立てる。圭石の台座は地中に一丈四尺入り、地上の高さは三十六尺、その先端両側には二体の龍が表の半身を抱くように付き、横梁を支える。梁の中心から表の頂までは四尺、下は圭面まで続けて合計四十尺とする。梁の長さは六尺、直径三寸、上部に水渠を設けて水準を取り、両端と中腰にそれぞれ横穴(直径二分)を開けて鉄を貫き通す。長さ五寸の鉄に糸を繋いで中心で合わせ、錘を懸けて垂直を取り、傾きを防ぐ。
- 表が短いと寸法の下の分秒(太・半・少などの端数)が分かりにくく、表が長ければ寸法は測りやすいが、影がぼやけて実際の影を得にくいという難点があった。そこで昔の人は虚ろな影の中から真の影を求めようと、望筒を設けたり小さな表を置いたり、木で作った規を用いたりした。今は銅で表を作り、高さ三十六尺、両側に二体の龍を配して横梁を一本掲げ、下は圭面まで達して合計四十尺とする。これは八尺表の五倍にあたる。圭表の目盛りは尺寸を刻み、旧は一寸であったのを、今は五倍に伸ばして釐・毫まで容易に区別できるようにした。
景符
- 景符の制は、銅の薄板を幅二寸、長さは幅の二倍とし、中央に針の穴のような小さな竅を一つ穿つ。方形の□(底本欠字。原文は実体参照〈&KR2243;〉で判読不能。木製の趺台を指す文字とみられる)を趺とし、一端に機軸を設けて開閉できるようにし、他端を支えて南に低く北に高い姿勢に傾け、圭表の虚ろな梁影の中を往来させる。竅を通った日光はわずかに米粒ほどの大きさとなり、その中に横梁の影がはっきりと映る。
- 旧法では表端で測った晷影は太陽の上端の影であったが、今は横梁を用いることで実際には中心の影が得られ、毫末の誤差もない。至元十六年己卯(1279年)の夏至の晷影は、四月十九日乙未に一丈二尺三寸六分九釐五毫であった。同年の冬至の晷影は、十月二十四日戊戌に七丈六尺七寸四分であった。
闚几
- 闚几の制は、長さ六尺、幅二尺、高さはその倍とする。下は趺とし、幅三寸、厚さ二寸、上部の□(底本欠字。景符と同じく実体参照〈&KR2243;〉で判読不能)は幅四寸、厚さは趺と同じにする。板で面を作り、厚さは一寸あまり、四隅に足を付けて斜めの木で支え、必ず正方形になるよう調整する。
- 面の中央には長さ四尺、幅二寸の明るい竅を開け、竅の両側一寸のところに尺の目盛りを分け、内側三寸は細かく分けて刻み、下は圭面に対応させる。几の面から梁の中心までは二十六尺で、これを基準とする。闚限はそれぞれ長さ二尺四寸、幅二寸、背の厚さ五分とし、両刃を斜めに削って几面と符合するようにする。限の両端は厚さ・幅ともに二寸を残し、几の□に嵌め込む。星や月がちょうど正中したときに、几の下から仰ぎ見て表梁の南北の位置を確認し、分寸の中数を取って直影とする。また遠方の同日に測った影の数値と合わせて星の高さを推算する。
西域儀象
- 世祖の至元四年(1267年)、扎瑪里鼎(ジャマールッディーン)が西域の儀象七種を製作した。
- 「察克鄂多哈喇齊」(漢語で混天儀の意)は、銅で作り、水平に単環を設けて周天度を刻み、十二辰の位置を描いて地面の基準とする。側面には双環を立て、平環の子午のところで結び、半ばを地下に入れて天度を分かつ。内側の第二の双環にも周天度を刻み、参差に交わらせて側面の双環に結ぶ。地平から三十六度離れたところを南北極とし、回転させて天の運行をかたどり、日の運行の道とする。内側の第三・第四の環はいずれも第二の環に結ばれ、南北極からさらに二十四度離れ、これも回転できる。回転できる三つの環にはそれぞれ銅の方釘を対にして取り付け、竅を穿って観測用の窺管の代わりとする。
- 「察克鄂多薩巴台」(漢語で測験周天星曜器の意)は、周囲を円い壁で囲み、東面に門を開ける。中に小さな台があり、銅の表(高さ七尺五寸)を立て、上に機軸を設けて長さ五尺五寸の銅の尺を懸け、さらに同じ長さの窺測用の管を二本加える。下には目盛りを刻んだ横尺を置き、これで懸けた尺の下端を基準とする。図の遠近を開いて左右に回転させることができ、窺管は上下に動かしてあまねく観測できる。
- 「濟嚕海克木濟頁穆爾齊」(漢語で春秋分晷影堂の意)は、屋を二間に作り、棟に東西の斜めの隙間を開けて日の光を通す。中に台があり、晷影に沿って南が高く北が低くなっている。上には仰向きに銅の半環(周天度百八十を刻む)を置いて地上の半天に対応させ、斜めに鋭い先端を持つ銅の尺(長さ六尺、幅一寸六分)を配する。上は半環の中央に結び、下は半環の上に加え、往来させて観測することができる。側面から屋の晷影を観測して度数を求め、春分・秋分を定める。
- 「濟嚕海克木濟頁穆徹台」(漢語で冬夏至晷影堂の意)は、屋を五間に作り、屋の下には深さ二丈二尺の坎(穴)を掘る。棟に南北の一つの隙間を開けて日の光を直接通す。隙間に沿って壁を立て、壁に沿って長さ一丈六寸の銅の尺を懸ける。壁には仰向きに天度の半規を描き、その尺も往来させ規に沿って動かせる。屋を通して晷影を観測し、冬至・夏至を定める。
- 「庫哩頁埒森薩巴」(漢語で渾天図の意)は、銅で丸い球を作り、その腹に日の軌道が赤道と交わる度数を斜めに刻み、その上に二十八宿の形を刻む。外側には水平に銅の単環を置き、周天度数を刻んで十二辰の位置を配し、地面の基準とする。側面には単環を二つ立て、一つは平環の子午のところに銅の丁(軸)で南北極を象って結び、もう一つは平環の卯酉のところに結び、いずれも天度を刻む。これは渾天儀そのものであるが、回転させて観測することはできない。
- 「庫哩頁埓森噶扎爾」(漢語で地理志の意)は、木で丸い球を作り、七分を水として緑色に、三分を土地として白色に塗り、江河湖海の脈絡を球面に描き込む。また小さな方形の井桁のような区画を描き、幅員の広さや道里の遠近を計るために用いる。
- 「蘇尼額都爾博多」(漢語で昼夜時刻を測る器の意)は、銅で丸い鏡のように作り、身に掛けられる。面に十二辰の位置を刻み、昼夜の時刻を示す。上に銅の条(棒)を加えて中心に取り付け、回転させることができる。銅条の両端はそれぞれその先を曲げて二つの竅を作り、これを対にして望む。昼は日の影を、夜は星辰を窺って時刻を定め、吉凶を占う。裏には鏡片を三面嵌め込み、それぞれに図を刻み、全部で七通りある。東西南北の日影の長短の違いや星辰の向き・背きの異なりを弁別するためで、それぞれ図を異にして天地の変化を尽くしている。
四海測驗
- 南海:北極出地一十五度。夏至の景(影)は表の南側に長さ一尺一寸六分。昼五十四刻、夜四十六刻。
- 衡嶽:北極出地二十五度。夏至の日には表の先端に景なし。昼五十六刻、夜四十四刻。
- 嶽臺:北極出地三十五度。夏至の晷景の長さ一尺四寸八分。昼六十刻、夜四十刻。
- 和林:北極出地四十五度。夏至の晷景の長さ三尺二寸四分。昼六十四刻、夜三十六刻。
- 鐵勒:北極出地五十五度。夏至の晷景の長さ五尺一分。昼七十刻、夜三十刻。
- 北海:北極出地六十五度。夏至の晷景の長さ六尺七寸八分。昼八十二刻、夜一十八刻。
- 大都:北極出地四十度太強。夏至の晷景の長さ一丈二尺三寸六分。昼六十二刻、夜三十八刻。
- 上都:北極出地四十三度少。
- 北京:北極出地四十二度強。
- 益都:北極出地三十七度少。
- 登州:北極出地三十八度少。
- 高麗:北極出地三十八度少。
- 西京:北極出地四十度少。
- 太原:北極出地三十八度少。
- 安西府:北極出地三十四度半強。
- 興元:北極出地三十三度半強。
- 成都:北極出地三十一度半強。
- 西涼州:北極出地四十度強。
- 東平:北極出地三十五度太。
- 大名:北極出地三十六度。
- 南京:北極出地三十四度太強。
- 河南府陽城:北極出地三十四度太弱。
- 揚州:北極出地三十三度。
- 鄂州:北極出地三十一度半。
- 吉州:北極出地二十六度半。
- 雷州:北極出地二十度太。
- 瓊州:北極出地一十九度太。
日薄食暈珥及日變
- 世祖中統二年(1261年):三月壬戌朔、日食。
- 中統三年(1262年):十一月辛丑、背気重暈三珥(太陽の背後に暈、珥三つ)。
- 至元二年(1265年):正月辛未朔、日食。
- 至元四年(1267年):五月丁亥朔、日食。
- 至元五年(1268年):十月戊寅朔、日食。
- 至元七年(1270年):三月庚子朔、日食。
- 至元八年(1271年):八月壬辰朔、日食。
- 至元九年(1272年):八月丙戌朔、日食。
- 至元十二年(1275年):六月庚子朔、日食。
- 至元十四年(1277年):十月丙辰朔、日食。
- 至元十九年(1282年):六月己丑朔、日食。七月戊午朔、日食。
- 至元二十四年(1287年):七月癸丑、日暈に連環(重なる暈)、白虹が貫く。十月戊午朔、日食。
- 至元二十六年(1289年):三月庚辰朔、日食。
- 至元二十七年(1290年):八月辛未朔、日食。
- 至元二十九年(1292年):正月甲午朔、日食。何かが徐々に太陽に侵入したが全部は隠さず、太陽の形は金環のようになり、左右に珥が現れ、上に抱気(太陽を抱くような気象現象)が見えた。
- 至元三十一年(1294年):六月庚辰朔、日食。
- 成宗大德三年(1299年):八月己酉朔、日食。
- 大德四年(1300年):二月丁未朔、日食。
- 大德六年(1302年):六月癸亥朔、日食。
- 大德七年(1303年):閏五月戊午朔、日食。
- 大德八年(1304年):五月癸未朔、日食。
- 武宗至大二年(1309年):正月丁亥、白虹貫日。八月甲寅、白虹貫日。
- 至大四年(1311年):正月壬辰、日の色が赤く赭(あかつち)のようになった。
- 仁宗皇慶元年(1312年):六月乙丑朔、日食。
- 延祐元年(1314年):三月己亥、白暈が天にわたり連環して日を貫いた。
- 延祐二年(1315年):四月戊寅朔、日食。五月甲戌、日が赤く赭のよう、乙亥も同様。九月甲寅、日が赤く赭のよう、戊午も同様。
- 延祐三年(1316年):五月戊申、日が赤く赭のよう。
- 延祐五年(1318年):二月癸巳朔、日食。
- 延祐六年(1319年):二月丁亥朔、日食。
- 延祐七年(1320年):正月辛巳朔、日食。三月乙未、日に暈が連環のように現れた。
- 英宗至治元年(1321年):三月己丑、交暈が連環して日を貫くようであった。六月癸卯朔、日食。
- 至治二年(1322年):十一月甲午朔、日食。
- 泰定帝泰定四年(1327年):二月辛卯、白虹貫日。九月丙申朔、日食。
- 文宗天暦二年(1329年):七月丙辰朔、日食。
- 至順元年(1330年):九月癸巳、白虹貫日。
- 至順二年(1331年):正月己酉、白虹貫日。八月甲辰朔、日食。十一月壬申朔、日食。
- 至順三年(1332年):五月丁酉、白虹が太陽と並んで出て、長くその光が天にわたった。
- 順帝元統元年(1333年):三月癸巳、日が赤く赭のよう。閏三月丙申・癸丑・甲寅もみな同様。
- 元統二年(1334年):四月戊午朔、日食。
- (後)至元元年(1335年):十二月戊午、日が赤く赭のよう。閏十二月丁亥・戊子・己丑もみな同様。
- 至元二年(1336年):二月壬辰、日が赤く赭のよう、乙未・丙申も同様。三月庚申・壬戌・癸卯、四月丁丑もみな同様。八月甲戌朔、日食。十二月甲戌、日が赤く赭のよう。
- 至元三年(1337年):正月丁巳、日に交暈があり左右に珥、その上に白虹が貫いた。二月壬申朔、日食。八月癸未、同様に交暈と珥、白虹が貫いた。十月癸酉、日が赤く赭のよう。
- 至元四年(1338年):閏八月戊戌、日が赤く赭のよう、己亥・壬寅も同様、九月庚寅もみな同様。
- 至元五年(1339年):正月丙寅、日に交暈があり左右に珥、白虹が貫いた。二月辛亥、日が赤く赭のよう、三月庚申・辛酉、四月丁未もみな同様。
- 至正元年(1341年):三月壬申、日が赤く赭のよう。
- 至正三年(1343年):四月丙申朔、日食。
- 至正四年(1344年):九月丁亥朔、日食。
- 至正十年(1350年):十一月壬子朔、日食。
- 至正十三年(1353年):九月乙丑朔、日食。
- 至正十四年(1354年):三月癸亥朔、日食。
- 至正十五年(1355年):二月丙子、日が赤く赭のよう。
- 至正十七年(1357年):七月己丑、日に交暈が連環して貫いた。
- 至正十八年(1358年):六月戊辰朔、日食。十二月乙丑朔、日食。
- 至正二十一年(1361年):四月辛巳朔、日食。
- 至正二十五年(1365年):三月壬戌、日に暈があり内が赤く外が青く、白虹が連環のように貫いた。
- 至正二十六年(1366年):二月丁卯、日に暈があり左の珥の上に背気一道。七月辛巳朔、日食。
- 至正二十七年(1367年):十二月癸卯朔、日食。
月五星凌犯及星變上
- 憲宗六年(1256年):六月、金星が昼間に見えた。
- 世祖中統元年(1260年):五月乙未、火星が南斗に入り五十余日とどまった。
- 中統二年(1261年):二月丁酉、月が昴を犯した。六月戊戌、月が角を犯した。八月丙午、金星が木星を犯した。十一月庚午、月が昴を犯した。十二月辛卯、火星が房を犯し、壬辰、火星が鈎鈐を犯した。
- 中統三年(1262年):十一月乙酉、金星が鈎鈐を犯した。
- 至元元年(1264年):二月丁卯、月が南斗を犯した。四月辛亥、月が軒轅の御女星を犯した。五月丙戌、月が房を犯し、己亥、月が昴を犯した。七月甲戌、彗星が輿鬼に現れ、昏刻に西北に見え、上台を貫き紫微・文昌・北斗を掃き、明け方には東北に見えて、およそ四十余日続いた。十二月甲子、月が房を犯した。
- 至元二年(1265年):六月丙子、月が心宿大星を犯した。
- 至元四年(1267年):八月庚申、土星が天罇の距星を犯し、壬戌、金星が軒轅大星を犯し、甲子、木星が軒轅大星を犯した。十一月乙巳、土星が天罇の距星を犯した。
- 至元五年(1268年):正月甲午、月が井を犯した。二月戊子、月が天闗を犯し、己丑、月が井を犯した。
- 至元六年(1269年):十月庚子、月が水星を犯した。
- 至元七年(1270年):正月己酉、月が畢を犯した。九月丁巳、月が井を犯した。十月庚午、金星が右執法を犯した。十一月壬寅、火星が太微西垣上将を犯した。
- 至元八年(1271年):正月辛未、月が畢を犯した。三月丁亥、火星が太微西垣上将を犯した。九月丙子、月が畢を犯した。
- 至元九年(1272年):五月乙酉、金星が畢の距星を犯した。九月戊寅、月が御女を犯した。十月戊戌、火星が土星を犯した。十一月丁卯、月が畢を犯した。
- 至元十年(1273年):三月癸酉、客星が青白色で粉絮のように現れ、畢度五車の北から起こり、文昌を経て斗杓を貫き、梗河を歴て左攝提に至るまで、およそ二十一日続いた。
- 至元十一年(1274年):二月甲寅、月が井宿を犯した。十月壬戌、木星が壘壁陣を犯した。
- 至元十二年(1275年):七月癸酉、金星が井を犯し、辛卯、月が畢を犯した。九月己巳、金星が少民を犯し、己卯、金星が太微西垣上将を犯した。十月癸丑、月が畢を犯した。十一月丙戌、月が軒轅大星を犯した。十二月戊戌、土星が亢を犯し、戊申、月が畢を犯した。
- 至元十三年(1276年):九月辛亥、金星が南斗を犯し、甲寅、金星が南斗に入った。十二月乙卯、月が土星を犯し、辛酉、火星が鈎鈐を掩った。
- 至元十四年(1277年):二月癸亥、彗星が東北に現れ長さ四尺余り。
- 至元十五年(1278年):二月丁丑、火星が天街を犯した。三月丁亥、月が金星を犯し、戊子、月が火星を犯した。十一月辛亥、金星・火星・土星が房に集まった。
- 至元十六年(1279年):四月癸卯、土星が鍵閉を犯し、七月丙寅、土星が鍵閉を犯した。八月庚辰、月が房宿の距星を犯し、庚子、木星が軒轅大星を犯した。十月丙申、月が太微西垣上将を犯した。十一月癸丑、月が火星を犯した。
- 至元十七年(1280年):四月庚子、木星が軒轅大星を犯した。七月戊申、月が房宿の距星を掩い、己酉、月が南斗を犯した。八月丙子、月が心宿東星を犯し、甲子、月が右執法および木星を犯した。
- 至元十八年(1281年):七月癸卯、月が房宿の距星を犯した。閏八月癸巳朔、火星が司怪南第二星を犯し、庚戌、月が昴を犯した。九月甲申、月が軒轅大星を犯した。十一月甲戌、月が五車次南星を犯し、丁丑、月が鬼を犯し、丁亥、月が心を掩った。十二月丙午、月が軒轅大星を犯した。
- 至元二十年(1283年):正月己巳、月が軒轅の御女星を犯し、庚辰、月が南斗に入り距星を犯した。二月庚寅、月が昴を掩い、庚子、金星が昴を犯し、壬寅、金星が昴を犯し、乙巳、月が心を犯した。三月己未、木星が鍵閉を犯し、庚申、月が井を犯し、壬戌、月が鬼を犯し、己巳、木星が房を犯し、癸酉、木星が房を掩った。四月己亥、月が房を犯し、壬寅、月が南斗を犯した。五月丙寅、月が心を掩った。七月丙辰、金星が井を犯し、癸亥、月が南斗を犯し、乙丑、金星が井を犯し、庚午、火星が司怪を犯した。八月丙午、金星が軒轅を犯し、丁未、木星が鈎鈐を犯した。九月壬子、金星が軒轅の少女を犯し、戊午、月が斗を犯し、己巳、金星が右執法を犯し、壬申、月が井を掩い、癸酉、火星が鬼を犯し、甲戌、月が鬼を犯し、火星が積尸気を犯し、金星が左執法を犯した。十月丙申、月が昴を犯した。十一月戊寅、金星と木星が互いに犯した。十二月甲辰、月が火星を掩った。
- 至元二十一年(1284年):閏五月戊寅朔、土星が斗を犯した。七月甲申、金星が火星を犯した。九月癸巳、金星が南斗第四星を犯し、乙未、月が井を犯した。十月己酉、月が軫を犯した。十一月丙戌、月が昴を犯し、己亥、月が輿鬼を掩い、庚子、月が心を犯した。
- 至元二十二年(1285年):二月辛亥、月が東井を犯し、癸丑、月が鬼を犯し、壬戌、月が心を犯した。八月癸丑、月が東井に入った。十二月己亥、木星が土星を犯した。
- 至元二十三年(1286年):正月壬午、月が軒轅の太民を犯し、乙酉、月が氐を犯した。二月丙午、月が井を犯した。三月己巳、月が婁を犯した。五月己巳、火星が太微西垣上将を犯し、庚辰、木星が壘壁陣を犯し、乙酉、火星が太微右執法を犯した。六月丙辰朔、金星が御女を犯した。八月乙卯、金星が軒轅右角星を犯した。九月甲申、月が天闗を犯した。十月甲午朔、金星が右執法を犯し、戊戌、月が建星を犯し、辛亥、月が東井を犯し、甲寅、金星が進賢を犯した。十一月戊辰、金星が亢を犯し、己卯、月が東井を犯し、辛巳、木星が壘壁陣を犯した。十二月戊戌、金星が東咸を犯し、丁未、月が東井を犯し、丁巳、月が氐を犯した。
- 至元二十四年(1287年):正月甲戌、月が東井を犯し、乙酉、月が房を犯した。二月庚子、月が天闗を犯し、辛丑、月が東井を犯した。閏二月癸亥、月が水星を犯し、甲申、月が牽牛を犯した。三月丙申、月が東井を犯した。四月癸酉、月が氐を犯し、甲戌、月が房を犯した。七月戊戌、月が南斗を犯し、辛丑、月が牽牛を犯し、壬寅、火星が輿鬼の積尸気を犯し、甲辰、火星が輿鬼を犯し、壬子、月が司怪を犯した。八月癸亥、金星が亢を犯し、丙子、土星が南で壘壁陣を犯し、己卯、月が天闗を犯し、辛巳、月が東井を犯し、甲申、金星が房を犯した。九月丁酉、火星が長垣を犯し、庚子、金星が天江を犯し、乙巳、月が畢を犯し、辛亥、火星が太微西垣上将を犯し、壬子、金星が南斗を犯した。十月壬戌、月が牽牛大星を犯し、乙酉、火星が左執法を犯した。十一月壬辰、金星が壘壁陣を犯し、月に暈があり金星・土星も暈に入り、丙申、火星が太微東垣上将を犯し、庚子、金星が昼に見え、丙辰、火星が進賢を犯した。十二月丙寅、月が畢を犯し、金星が昼に見えた。
- 至元二十五年(1288年):正月乙巳、月が角を犯し、戊申、月が房を犯した。三月丁亥、火星が太微東垣上相を犯し、戊子、月が畢を犯し、己亥、月が角を掩った。四月戊午、月が井を犯した。五月戊申、金星が畢を犯した。六月甲戌、金星が井を犯し、丁丑、月が木星を犯した。七月己亥、火星が氐を犯し、庚子、金星が鬼を犯し、乙巳、月が畢を掩った。八月丙辰、火星が房を犯し、己未、金星が軒轅大星を犯した。九月癸未朔、火星が天江を犯し、庚子、月が畢を犯し、癸卯、火星が南斗を犯した。十二月辛酉、月が畢を犯し、甲子、月が井を犯し、甲戌、月が亢を犯し、火星が壘壁陣を犯した。
- 至元二十六年(1289年):正月辛丑、月が氐を犯した。三月甲午、月が亢を犯した。五月壬辰、金星が鬼を犯した。七月戊子、金星が四十五日にわたって天空を経過し、辛卯、月が牛を犯し、乙未、月が木星を犯した。八月辛未、木星が昼に見えた。九月戊寅、木星が井を犯し、乙未、月が畢を犯し、丙申、火星が太微西垣上将を犯した。十月癸丑、月が牛宿の距星を犯し、甲寅、火星が右執法を犯した。閏十月丁亥、水星が房を犯し、己丑、月が畢を犯し、火星が進賢を犯し、月が井を犯した。十一月丁巳、火星が亢を犯し、戊辰、月が亢を犯した。
- 至元二十七年(1290年):正月庚戌、金星が牛を犯し、癸丑、月が井を犯し、丁卯、火星が房を犯し、壬申、火星が鍵閉を犯した。二月戊寅、月が畢を犯し、庚寅、月が亢を犯した。三月壬子、火星が鈎鈐を犯した。四月丙子、月が井を犯し、壬辰、火星が氐に十余日とどまった。五月乙丑、月が土星を犯した。六月己丑、火星が房を犯した。七月辛酉、火星が天江を犯した。九月癸卯、木星が鬼を犯した。十月辛巳、金星が斗を犯した。十一月戊申、月が土星を掩い、辛酉、月が左執法を掩った。十二月辛卯、月が亢を犯した。
- 至元二十八年(1291年):正月壬寅、金星・火星・土星が奎に集まった。二月癸未、月が左執法を犯し、甲申、金星が昴を犯した。三月丁未、月が御女を犯し、己酉、月が右執法を犯し、庚戌、月が太微東垣上相を犯し、乙卯、金星が五車を犯した。四月乙未、木星が輿鬼の積尸気を犯した。五月壬寅、月が少民を犯し、甲寅、月が牛を犯した。六月辛卯、月が畢を犯した。七月己亥、金星が井を犯した。八月丙寅、金星が輿鬼を犯し、丙子、月が牽牛を犯し、癸未、木星が軒轅大星を犯し、戊子、金星が軒轅大星と木星を犯し、癸巳、月が火星を掩った。九月丙辰、火星が左執法を犯し、戊午、金星が火星を犯し、辛酉、木星が少民を犯した。十月丙戌、月が軒轅太星と御女を犯し、己丑、月が太微東垣上相を犯した。十一月甲辰、月が房を犯し、丙午、火星が亢を犯し、丁未、月が畢を犯し、庚申、火星が氐を犯した。十二月庚辰、月が御女を犯し、癸未、月が東垣上相を犯し、己丑、火星が房を犯し、庚寅、火星が鈎鈐を犯した。
- 至元二十九年(1292年):正月戊申、月が木星と軒轅の左角を犯した。二月己巳、月が畢を犯した。四月丙子、月が氐を犯した。六月己丑、金星が木星を犯した。閏六月戊申、火星が狗国を犯した。七月辛未、月が牛を犯した。八月丁酉、水星が右執法を犯し、己亥、金星が房を犯し、乙巳、木星が右執法を犯した。九月壬戌、火星が壘壁陣を犯し、辛巳、金星が南斗を犯した。十月乙巳、月が井を犯し、丁未、月が鬼を犯し、乙卯、月が氐を犯した。十一月壬戌、月が壘壁陣を犯し、己卯、月が太微東垣上将を犯した。十二月庚子、月が井を犯し、甲辰、月が太微西垣上将を犯した。
- 至元三十年(1293年):正月丙寅、月が畢を犯し、丁丑、月が氐を犯し、庚辰、木星が左執法を犯した。二月壬辰、月が畢を犯し、乙巳、火星が天街を犯し、庚戌、月が牛を犯し、癸丑、金星が壘壁陣を犯した。三月辛未、月が氐を犯した。四月癸丑、金星が土星を犯した。六月己丑、木星が左執法を犯し、丙申、月が斗を犯した。七月甲子、月が建星を犯し、辛巳、月が鬼を犯した。八月甲午、水星が太微西垣上将を犯し、甲辰、月が畢を犯し、戊申、月が鬼を犯した。九月丁卯、月が畢を犯した。十月庚寅、彗星が紫微垣に入り斗魁に至り、光芒は尺ばかり、およそ一月で消えた。丙申、火星が亢を犯し、己亥、月が天闗を犯し、辛丑、月が井を犯した。十一月乙丑、月が畢を犯し、丁卯、月が井を犯し、庚午、月が鬼を犯し、丙子、火星が鈎鈐を犯し、戊寅、木星が亢を犯した。十二月乙未、月が井を犯した。
- 至元三十一年(1294年):四月戊申、金星が昼に見え、また鬼を犯した。五月庚戌朔、金星が輿鬼を犯した。六月丙午、月が井を犯した。八月庚辰、金星が昼に見え、戊戌、月が畢を犯し、金星が軒轅を犯した。九月丁巳、金星が天空を経過し、丙寅、月が土星を掩い、辛未、月が軒轅を犯し、乙亥、金星が右執法を犯し、月が平道を犯した。十月壬午、金星が左執法を犯し、癸巳、月が土星を掩い、乙未、月が井を犯した。十一月己酉、月が亢を犯し、庚申、月が畢を犯し、癸酉、金星が房を犯した。十二月癸未、木星が房を犯し、丁亥、木星が鈎鈐を犯し、壬辰、月が鬼を犯し、庚子、月が房を犯し、また木星を犯した。
- 成宗元貞元年(1295年):正月乙卯、月が土星を犯し、また畢を犯し、癸酉、木星が東咸を犯した。二月癸未、火星が月を犯し、壬辰、月が平道を犯し、癸卯、月が木星を犯した。三月庚戌、月が土星を犯し、壬戌、月が房を犯した。四月庚寅、月が東咸を犯した。閏四月癸丑、木星が房を犯し、甲寅、月が平道を犯し、乙卯、月が亢を犯し、丁巳、月が房を掩った。五月丁亥、月が南斗を犯した。七月丁丑、月が亢を犯し、甲申、木星が房を犯した。八月乙酉、月が牛を犯し、壬子、月が壘壁陣を犯した。九月甲午、月が軒轅を犯し、戊戌、月が平道を犯した。十月辛酉、水星が房を犯し、壬戌、水星が鍵閉を犯し、戊辰、金星が昼に見え、月が房を犯した。十一月甲戌、金星が天空を経過し壘壁陣を犯し、乙酉、月が井を犯し、丁亥、月が鬼を犯した。十二月丙辰、月が軒轅を犯し、甲子、月が天江を犯した。
- 元貞二年(1296年):正月壬午、月が輿鬼を犯し、丙戌、金星が昼に見え、丁亥、月が平道を犯し、庚寅、月が鈎鈐を犯した。二月丁未、月が井を犯した。三月乙酉、月が鈎鈐を犯した。五月丁丑、月が平道を犯した。六月乙巳、金星が天闗を犯し、丁巳、金星が土星を犯し、癸亥、月が井を犯した。七月壬午、土星が井を犯し、金星が輿鬼を犯した。八月庚子、月が亢を犯し、金星が軒轅を犯し、癸卯、月が天江を犯し、乙卯、月が天街を犯し、金星が上将を犯した。九月戊辰、金星が左執法を犯し、壬申、月が南斗を掩い、丁丑、月が壘壁陣を犯し、己丑、月が軒轅を犯した。十一月丁巳、月が月星(星の名)を犯し、また天街を犯し、庚辰、月が井を犯し、丁亥、月が上相を犯し、戊子、月が平道を犯し、壬辰、月が天江を犯した。十二月丁未、月が井を犯し、乙卯、月が進賢を犯した。
- 大德元年(1297年):三月戊辰、火星が井を犯し、癸酉、月が軒轅大星を掩った。五月癸酉、金星が鬼の積尸気を犯し、乙亥、月が房を犯した。六月乙未、金星が昼に見えた。七月庚午、月が房を犯した。八月丁巳、祅星(不祥な星)が奎に現れた。九月辛酉朔、祅星が再び奎を犯した。十月戊午、金星が天空を経過した。十一月戊子、金星が天空を経過した。十二月甲辰、金星が天空を経過し、また東咸を犯し、丙午、月が軒轅を犯し、甲寅、月が心を犯した。閏十二月癸酉、金星が建星を犯し、丙子、金星が建星を犯した。
- 大德二年(1298年):二月辛酉、木星・火星・金星が危に集まり、火星が木星を犯し、辛未、月が左執法を犯し、丙子、月が心を犯した。五月戊戌、月が心を犯した。六月壬戌、月が角を犯した。七月癸巳、月が心を犯した。八月壬戌、月が箕を犯した。九月辛丑、月が五車南星を犯し、癸卯、月が五諸侯を犯し、己酉、月が左執法を犯した。十月壬戌、金星が牽牛を犯し、戊寅、月が角宿の距星を犯した。十一月己亥、月が輿鬼を犯し、辛丑、水星が牽牛を犯し、壬寅、月が右執法を犯した。十二月戊午、金星が天空を経過し、己未、土星が輿鬼を犯し、乙丑、金星が木星を犯し、月が火星を犯し、庚午、土星が輿鬼に入り、月が上将を犯し、甲戌、彗星が子孫星の下に現れ、己卯、月が南斗を犯した。
- 大德三年(1299年):正月丙戌、月が金星を犯し、丁酉、月が西垣上将を犯し、戊戌、月が右執法を犯し、乙巳、金星が天空を経過した。三月乙巳、火星が五諸侯を犯し、戊戌、火星が輿鬼を犯した。四月己未、月が上将を犯し、丙寅、土星が輿鬼を犯し、月が心を犯した。五月丙申、月が南斗を犯し、己亥、金星が畢を犯した。六月庚申、月が房を犯し、丁卯、火星が右執法を犯し、壬申、木星が昼に見えた。七月己卯朔、金星が井を犯し、丁未、月が輿鬼を犯した。八月丁巳、月が箕を犯し、戊辰、金星が軒轅大星を犯し、己巳、月が五車星を犯した。九月壬辰、流星が赤色で尾の長さ尺余り、その光が地を照らし、河鼓から起こり牽牛の西に没し、雷のような音がした。乙未、月が昴宿の距星を犯し、丁酉、金星が左執法を犯した。十月丙子、月が房を犯した。十一月乙酉、金星が房を犯した。
- 大德四年(1300年):二月戊午、月が軒轅を犯した。五月甲午、月が壘壁陣を犯し、辛丑、金星が輿鬼を犯し、月が昴を犯した。六月丁巳、金星が土星を犯した。七月辛卯、火星が井を犯した。八月癸丑、月が井を犯し、甲子、水星が霊台上星を犯した。閏八月庚辰、火星が輿鬼を犯した。九月戊午、金星が斗を犯し、壬戌、月が輿鬼を犯し、甲子、金星が斗を犯した。十二月庚寅、火星が軒轅を犯し、癸巳、月が房宿の距星を犯した。
- 大德五年(1301年):正月己酉、月が五車を犯し、壬子、月が輿鬼の積尸気を犯し、辛酉、月が心を犯した。二月己卯、月が輿鬼を犯した。三月戊申、月が御女を犯し、丁卯、火星が土星を犯し、己巳、火星と土星が相合した。四月壬申、月が東井を犯した。五月癸丑、月が南斗を犯し、乙卯、火星が右執法を犯し、丁卯、金星が井を犯した。六月甲申、木星が司怪を犯し、癸巳、金星が輿鬼を犯し、木星が井を犯し、甲午、金星が輿鬼を犯した。七月丙午、木星が井を犯し、辛亥、月が壘壁陣を犯し、庚申、水星が金星を犯した。八月壬辰、月が軒轅の御女を犯し、乙未、土星が太微上将を犯した。九月乙丑、八月庚辰以来、彗星が井宿二十四度四十分に現れ、南河大星のように白色で長さ五尺、西北に向かい、文昌・斗魁の南を経て太陽を掃き、また北斗・天機・紫微垣・三公・貫索の星をも掃き、長さ丈余りに及んだ。天市垣に至り巴蜀の東・梁楚の南で宋星の上まで長く伸び、およそ四十六日で消えた。十月癸未、月が東井を犯し、辛卯の夜、流星が杯ほどの大きさで赤色、尾の長さ丈余り、地を照らして北から東に近く起こり、ゆっくり進み二つに分かれ、前が大きく後が小さく一尺余り離れて危宿に没した。十一月己亥、木星が東井を犯し、戊申、月が昴を犯した。十二月甲戌、木星が司怪を犯し、辛卯、月が南斗を犯した。
- 大德六年(1302年):正月壬戌、土星が太微西垣上将を犯した。二月庚午、月が昴を犯した。三月壬寅、月が輿鬼を犯し、癸卯、木星が井を犯し、甲寅、月が鈎鈐を犯した。四月乙丑朔、金星が東井を犯し、戊寅、月が心を犯し、庚寅、金星が輿鬼を犯した。六月癸亥朔、土星が太微西垣上将を犯し、乙亥、月が斗を犯した。七月癸巳朔、火星・土星・水星が井に集まり、庚子、月が心を犯し、戊午、月が火星を犯した。八月乙丑、火星が木星を犯し、己巳、火星が輿鬼を犯し、辛巳、月が昴を犯し、壬午、金星が軒轅を犯した。九月丙午、火星が軒轅を犯し、癸丑、月が輿鬼を犯し、丁巳、金星が右執法を犯した。十月壬午、火星が太微西垣上将を犯した。十一月辛卯、土星が左執法を犯し、乙未、水星が房を犯し、癸卯、月が昴を犯し、己酉、月が軒轅を犯した。十二月庚申朔、火星が土星を犯し、乙丑、木星が輿鬼を犯し、乙亥、月が輿鬼を犯し、庚辰、火星が太微東垣上相を犯し、癸未、月が房を犯した。
- 大德七年(1303年):正月戊戌、月が昴を犯し、甲辰、月が軒轅を犯した。二月戊寅、月が心を犯した。四月癸亥、月が東井を犯し、丙寅、月が軒轅を犯し、乙亥、木星が輿鬼を犯し、月が南斗を犯し、甲申、火星が太微垣右執法を犯した。五月壬辰、水星が東井を犯した。閏五月戊辰、月が心を犯した。七月戊寅、木星が軒轅を犯し、己卯、月が井を犯し、乙酉、火星が房を犯した。八月癸巳、金星が氐を犯し、甲午、火星が東咸を犯し、月が牽牛を犯し、乙巳、木星が軒轅を犯し、辛亥、火星が天江を犯した。九月丙寅、金星が昼に見え、辛未、火星が南斗を犯し、甲戌、月が東井を犯し、乙亥、金星が南斗を犯し、壬辰、水星が氐を犯した。十月丁亥、金星が天空を経過し、辛丑、月が東井を犯した。十一月己未、金星が天空を経過し、丙寅、土星が進賢を犯し、戊辰、月が東井を犯し、己卯、月が東咸を犯した。十二月丙戌、金星が天空を経過し、夜には火星が壘壁陣を犯し、丙申、月が東井を犯し、辛丑、月が明堂を犯し、丁未、月が天江を犯した。
- 大德八年(1304年):三月乙丑、去年十二月庚戌以来の彗星が現れ、約一尺ほど東南を指し白色、室宿十一度に測られ、次第に長さ尺余りになり西北を指し、騰蛇を掃いて紫微垣に入り、ここに至って消えるまで、およそ七十四日であった。
- 大德九年(1305年):正月丁巳、月が天闗を犯し、甲子、月が明堂を犯し、己巳、月が東咸を犯した。三月甲寅、火星が氐を犯し、戊午、木星が左執法を犯した。四月庚辰、月が井を犯し、壬辰、金星が井を犯した。五月癸亥、木星が左執法を掩った。七月丙午、火星が氐を犯し、甲寅、金星が天空を経過し、丁卯、火星が房を犯した。八月辛巳、月が東井を犯し、乙未、火星が天江を犯した。九月丁巳、火星が斗を犯した。十月丙戌、金星が天空を経過した。十一月庚戌、木星・金星・土星が亢に集まり、癸丑、木星が亢を犯し、丙寅、木星が昼に見え、壬申、金星が天空を経過した。十二月丙子、月が西咸を犯し、庚寅、火星が壘壁陣を犯し、己亥、水星が建星を犯した。
- 大德十年(1306年):正月丁巳、金星が建星を犯した。閏正月癸酉、金星が牽牛を犯し、己丑、金星が壘壁陣を犯した。二月戊午、月が氐を犯した。三月戊寅、木星が亢を犯した。四月辛酉、土星が亢を犯した。六月癸丑、月が羅堰上星を犯し、己未、木星が亢を犯した。七月庚辰、月が牽牛を犯した。八月壬寅、木星が氐を犯し、火星が太微垣上将を犯した。九月己巳、火星が太微垣右執法を犯し、壬午、火星が太微垣左執法を犯した。十月甲辰、金星が斗を犯し、辛亥、月が畢を犯し、甲寅、月が井を犯した。十一月辛未、木星が房を犯し、壬申、月が虚を犯し、甲戌、火星が亢を犯し、戊子、火星が氐を犯し、辛卯、月が火星を犯した。十二月壬寅、金星が昼に見え、乙巳、木星が東咸を犯し、戊午、月が氐を犯した。
- 大德十一年(1307年):六月丙午、月が南斗の杓星を犯した。七月己巳、月が亢を犯し、壬午、火星が南斗を犯した。九月癸酉、金星が右執法を犯し、己卯、金星が左執法を犯した。十月乙巳、金星が亢を犯し、己酉、火星が壘壁陣を犯し、甲寅、月が明堂を犯し、己未、月が金星を犯した。十一月丁卯、金星が房を犯し、丙子、月が東井を犯し、乙酉、月が亢を犯し、辛卯、水星が木星を犯した。十二月丁巳、土星が鍵閉を犯した。
- 武宗至大元年(1308年):正月辛未、月が井を犯し、甲申、月が土星を犯した。二月丁未、月が亢を犯し、甲寅、月が牛の距星を犯した。三月乙丑、月が井を犯した。五月癸丑、金星が輿鬼を犯した。七月庚申、流星が勾陳南から起こり大角の傍らに至り、尾跡およそ三尺、化して白気となり七公の南に集まり円く車輪のように回転し、微かに鋭く貫索を経て消えた。壬申、金星が左執法を犯した。八月壬子、月が軒轅の太民を犯した。九月壬申、土星が房を犯し、丙子、月が井を犯し、癸未、月が火星を犯した。十月辛丑、金星が南斗を犯した。十一月庚申、金星が昼に見え、癸亥、火星が亢を犯し、己巳、月が畢を掩い、甲戌、火星が氐を犯し、乙亥、水星が土星を犯した。閏十一月壬寅、火星が房を犯し、丁未、月が亢を犯した。十二月甲子、月が畢を犯し、丙子、月が氐を犯し、戊寅、金星が建星を掩った。
- 至大二年(1309年):二月己巳、月が亢を犯し、辛未、月が氐を犯し、庚辰、月が金星を犯した。三月戊戌、月が氐を犯し、己亥、火星が木星を犯し、丙午、火星が壘壁陣を犯した。五月辛卯、月が亢を犯した。六月乙卯、金星が井を犯し、癸酉、水星が輿鬼を犯し、乙亥、月が畢を掩った。八月乙亥、月が軒轅を犯し、丁丑、月が右執法を犯した。九月丙午、月が進賢を犯した。十月壬申、月が左執法を犯した。十一月己亥、月が右執法を犯し、庚子、月が上相を犯し、辛丑、火星が外屏を犯した。十二月庚申、月が参を犯し、癸亥、水星が木星を犯し、辛未、金星が壘壁陣を犯した。
- 至大三年(1310年):正月壬辰、月が軒轅の御女を犯し、甲午、月が右執法を犯し、丙申、月が平道を犯した。二月辛亥、火星が月星を犯し、庚申、火星が天街を犯し、月が軒轅の少民を犯し、壬戌、月が左執法を犯し、甲戌、金星が月星を犯した。三月甲申、月が井を犯し、庚寅、月が氐を犯し、丙申、月が南斗を犯し、丁未、金星が井を犯し、甲寅、月が軒轅の御女を犯し、戊辰、金星が昼に見えた。五月乙酉、月が平道を犯し、癸巳、火星が輿鬼を犯した。六月乙卯、月が氐を犯した。七月戊寅、月が右執法を犯し、己卯、月が上相を犯した。八月甲子、金星が軒轅の太民を犯し、乙丑、月が畢大星を犯し、辛巳、月が建星を犯し、辛卯、月が天廩を犯した。十月甲辰朔、金星が天空を経過し、丙午、金星が左執法を犯し、癸丑、火星が亢を犯した。十一月甲戌朔、金星が亢を犯し、丁亥、月が畢を犯した。十二月甲辰朔、月が羅堰を犯し、庚申、月が軒轅大星を犯し、辛酉、金星が土星を犯し、丙寅、金星が氐を犯した。
- 至大四年(1311年):二月甲子、月が土星を犯した。三月丙戌、月が太微上将を犯した。四月甲寅、月が亢を犯し、火星が壘壁陣を犯し、癸未、月が氐を犯した。五月乙未、月が太微東垣上相を犯し、庚戌、月が氐を犯した。七月癸巳、月が畢を掩い、丁酉、月が鬼宿の距星を犯した。閏七月丙寅、月が軒轅を犯した。九月乙卯、月が畢を犯した。十月丙申、金星が壘壁陣を犯した。十一月甲寅、月が輿鬼を犯した。十二月庚辰、金星が天空を経過し、癸未も同様、甲申、月が太微西垣上将を犯し、壬辰、金星が天空を経過した。
- 仁宗皇慶元年(1312年):正月癸丑、月が太微東垣上相を犯した。二月壬午、月が亢を犯した。三月丁酉朔、火星が東井を犯し、壬寅、月が東井を犯した。四月丙子、金星が昼に見え、壬午、火星が輿鬼を犯し、癸未、火星が積尸気を犯し、庚寅、金星が天空を経過した。六月己巳、月が天闗を犯した。七月戊午、月が東井を犯した。八月戊辰、金星が軒轅を犯し、辛未、月が土星を犯し、壬午、水星が右執法を犯し、乙酉、金星が右執法を犯し、丁亥、水星が左執法を犯した。九月丁巳、金星が亢を犯した。十月丁亥、月が平道を犯し、戊子、月が亢を犯した。十一月己亥、月が壘壁陣を掩った。十二月甲申、火星・土星・水星が井に集まり、戊子、月が火星を犯した。
- 皇慶二年(1313年):正月戊申、月が三公を犯した。三月庚子、火星が壘壁陣を犯し、丁未、彗星が東井に現れた。七月己丑朔、木星が東井を犯し、辛卯、金星が昼に見え、乙未・丙辰も同様、丁巳、金星が天空を経過した。八月戊午朔、金星が昼に見え、壬戌、木星が東井を犯し、壬午、月が輿鬼を犯した。
- 延祐元年(1314年):二月癸酉、火星が東井を犯した。三月壬辰、月が火星を掩った。閏三月辛酉、月が輿鬼を犯し、丙寅、月が太微東垣を犯した。五月戊午、水星が輿鬼を犯した。六月乙未、火星が右執法を犯した。十月庚戌、水星が東咸を犯した。十二月甲午、月が輿鬼を犯し、癸卯、月が房を犯し、甲辰、月が天江を犯した。
- 延祐二年(1315年):正月乙卯、木星が輿鬼を犯し、己未、金星が昼に見え、癸亥、月が軒轅を犯し、丁卯、月が進賢を犯した。二月戊子、金星が昼に見え、癸巳、金星が天空を経過し、丙午も同様。三月丙辰、月が赤色で赭のようであった。四月庚子、月が壘壁陣を犯した。五月辛酉、月が天江を犯し、庚午、金星が昼に見えた。六月甲申、金星が昼に見え、この夜月が平道を犯し、癸卯、金星が東井を犯し、丙午、水星が輿鬼を犯した。九月己酉、月が房を犯し、辛酉、金星が左執法を犯した。十月丙子朔、客星が太微垣に現れた。十一月丙午、客星が彗星に変じて紫微垣を犯し、軫を歴て壁に至るまで十五宿を通り、翌年二月庚寅にようやく消えた。
- 延祐三年(1316年):九月癸丑、金星が昼に見え、丙寅、金星が天空を経過した。十月甲申、金星が斗を犯した。
- 延祐四年(1317年):三月乙酉、月が箕を犯した。六月乙巳、月が心を犯した。八月丙申、火星が輿鬼を犯し、壬子、月が昴を犯した。九月庚午、月が斗を犯した。
- 延祐六年(1319年):正月戊寅、月が心を犯した。二月己亥、月が霊台を犯した。三月己巳、月が明堂を犯し、癸酉、月が日星を犯し、甲戌、月が心を犯した。五月辛酉、月が霊台を犯し、丁卯、月が房を犯し、丙子、月が壘壁陣を犯した。六月己亥、木星が東咸を犯した。七月壬戌、月が心を犯し、丙子、金星が太微垣右執法を犯した。八月乙酉、火星が輿鬼を犯した。閏八月丙辰、水星が太微垣右執法を犯し、丁巳、月が心を犯し、癸亥、火星が軒轅を犯し、甲子、月が壘壁陣を犯し、乙亥、金星が東咸を犯した。十月癸亥、火星が太微垣左執法を犯し、乙丑、月が昴を犯し、戊辰、月が東井を犯し、庚午、金星が昼に見え、辛未、月が軒轅を犯し、辛卯、火星が進賢を犯し、庚子、月が明堂を犯した。十二月丙寅、月が軒轅を犯した。
- 延祐七年(1320年):正月乙未、月が明堂を犯し、癸卯、月が斗宿東星を犯した。二月辛酉、月が軒轅の御女を犯し、壬戌、月が霊台を犯し、丁卯、月が日星を犯し、庚午、月が斗宿の距星を犯した。三月戊子、月が酒旗上星を犯し、火星が進賢を犯し、庚寅、月が明堂上星を犯した。四月甲寅、金星が土星を犯し、壬戌、月が房宿の距星を犯した。五月庚寅、月が心宿東星を犯し、癸巳、月が狗宿東星を犯し、丙申、金星が畢宿の距星を犯した。六月庚申、月が斗宿東星を犯し、癸亥、月が壘壁陣西二星を犯し、丁卯、金星が井宿東扇第三星を犯した。七月丁亥、月が斗宿東二星を犯し、戊戌、火星が房宿上星を犯し、己亥、月が昴宿の距星を犯した。八月丙辰、金星が霊台上星を犯し、乙丑、火星が天江を犯し、丁卯、金星が太微垣右執法を犯し、壬申、月が軒轅の御女を犯した。九月乙酉、月が壘壁陣西二星を犯し、丙戌、火星が斗宿を犯し、癸巳、月が昴宿東星を犯し、己亥、金星が亢星を犯した。十月庚戌、月が火星を斗宿で犯し、癸亥、月が井宿を犯した。十一月癸卯、火星が壘壁陣を犯し、乙卯、月が昴宿を掩い、戊午、月が井宿東星を犯し、庚申、月が鬼宿を犯した。
- 英宗至治元年(1321年):正月乙未、月が房宿の距星を掩い、甲辰、水星が外屏西第一星を犯し、水星・金星・火星・土星が奎宿に集まった。二月壬子、金星・火星・土星が奎宿に集まり、辛酉、金星が火星を犯し、癸亥、月が心宿大星を犯し、また心宿東星を犯した。三月丁丑、月が昴宿を掩った。四月戊午、月が心宿大星を犯し、庚申、月が斗宿東第三星を犯した。五月戊寅、金星が鬼宿の積尸気を犯し、月が軒轅の右角を犯し、庚辰、月が明堂中星を犯した。六月己未、月が虚梁東第二星を犯し、辛酉、金星が天空を経過した。七月癸巳、月が昴宿を犯した。八月丁未、月が心宿前星を犯し、己酉、月が斗宿西第二星を犯し、壬子、火星が軒轅大星を犯した。九月乙亥、火星が霊台東北星を犯し、壬子、火星が太微西垣上将を犯し、丁酉、火星が太微垣右執法を犯した。十月甲辰、金星が天空を経過し、戊申、火星が太微垣左執法を犯した。十一月辛未、火星が進賢を犯し、丙子、月が虚梁東第一星を犯し、戊寅、水星が房宿上星を犯し、丙戌、月が井宿東扇北第二星を犯し、己丑、月が酒旗西星と軒轅右角を犯し、辛卯、月が明堂中星を犯し、己亥、金星が西咸南第一星を犯した。十二月甲辰、火星が亢宿南第一星を犯し、庚戌、月が昴宿東第一星を犯し、辛酉、火星が氐宿に入った。
- 至治二年(1322年):正月丁丑、月が昴宿の距星を犯し、庚辰、金星が建星西第二星を犯し、辛巳、金星が建星西第三星を犯し、辛卯、月が心宿大星を犯し、甲午、火星が房宿上星を犯し、丁酉、金星が牛宿南第一星を犯した。二月己亥朔、火星が鍵閉星を犯し、丙午、火星が罰星南一星を犯し、戊申、月が井宿東扇北第二星を犯し、庚戌、火星が東咸北第二星を犯し、辛亥、月が酒旗西第一星と軒轅右角星を犯し、壬子、金星が壘壁陣西方第二星を犯し、癸丑、月が明堂中星を犯した。五月丙子、火星が東咸南第一星を退行して犯した。六月壬申、火星が心宿の距星を犯した。七月己亥、火星が天江南第一星を犯し、戊午、月が井宿の鉞星を犯した。九月己未、月が明堂中星を犯した。十月庚辰、月が井宿の距星を犯し、辛巳、月が井宿東扇北第二星・第三星を犯し、己丑、火星が壘壁陣西第六星を犯した。十一月甲辰、金星が壘壁陣第一星を犯し、乙巳、火星が壘壁陣西第八星を犯し、戊申、月が井宿東扇北第二星を掩い、己未、月が東咸南第一星を犯し、庚申、月が天江上第二星を犯し、辛酉、火星が木星を犯した。十二月乙丑、金星・木星・火星が室に集まり、金星が壘壁陣西第八星を犯し、乙亥、月が井宿の距星を掩い、戊寅、金星が木星を犯し、己丑、火星が外屏西第三星を犯し、月が建星西第二星を犯した。
- 至治三年(1323年):正月壬寅、月が鉞星と井宿の距星を犯し、癸卯、月が井宿東扇南第二星を犯した。二月癸亥朔、火星・金星・土星が胃宿に集まり、癸酉、金星が昴宿を犯し、辛巳、月が東咸南第一星・第二星を犯した。五月戊戌、金星が天空を経過し、癸卯、月が房宿第二星を犯し、庚戌、金星が畢宿右服第三星を犯した。六月癸未、土星が畢宿の距星を犯した。九月辛卯、土星が畢を退行して犯した。十月己巳、金星が亢を犯し、丙子、金星が氐を犯した。十一月己丑朔、火星が亢を犯し、庚寅、金星が鈎鈐を犯し、乙未、金星が東咸を犯し、壬寅、火星が氐を犯した。十二月己巳、水星が壘壁陣を犯し、辛未、火星が房を犯し、辛巳、火星が東咸を犯した。
- 泰定帝泰定元年(1324年):五月丙午、金星が鬼宿を犯し、丁未、金星も鬼宿の積尸気を犯した。十月丙寅、金星が斗宿の距星を犯し、己巳、金星が斗宿魁に入り、月が土星を犯し、庚午、金星が斗を犯し、壬午、火星が壘壁陣を犯した。十二月庚午、火星が外屏を犯し、乙亥、金星が天空を経過した。
- 泰定二年(1325年):正月丙戌、水星が天鶏を犯し、壬寅、金星が建星を犯した。二月庚寅、火星・木星・土星が畢宿に集まった。六月丙戌、土星が井宿の鉞星を犯し、丙午、土星が井宿を犯した。八月癸巳、木星が天罇を犯した。十月壬辰、火星が氐宿を犯し、癸巳、土星が井宿を退行して犯した。十一月戊午、土星が井宿の鉞星を退行して犯した。十二月乙酉、火星が天江を犯し、水星が建星を犯し、甲午、金星が壘壁陣を犯した。
- 泰定三年(1326年):正月辛酉、金星が外屏を犯した。三月丙午、土星が井宿の鉞星を犯し、戊辰、火星が壘壁陣を犯し、土星が井宿を犯し、庚午、土星・金星・木星が井に集まった。四月戊戌、金星が鬼宿を犯し、壬寅、火星が壘壁陣を犯した。七月戊辰、金星が十二月まで天空を経過し続けた。九月壬戌、金星が太微垣右執法を犯した。十月辛巳、金星が進賢を犯した。
- 泰定四年(1327年):正月己酉、金星が牛宿を犯した。三月丁卯、火星が井宿を犯した。九月壬子、金星が房宿を犯した。閏九月己巳、金星が十二月まで天空を経過し続けた。十月乙巳、昼に流星があった。戊午、水星が東咸を犯した。十一月癸酉、金星が壘壁陣を犯し、火星が天江を犯した。十二月己未、木星が太微西垣上将を退行して犯した。
- 致和元年(1328年):二月壬戌、金星が昼に見えた。五月庚辰、流星が缶ほどの大きさで光が地を照らした。七月丙戌、金星が軒轅大星を犯した。
- 文宗天暦元年(1328年):九月庚辰、金星が亢宿を犯した。
- 天暦二年(1329年):正月甲子、金星が壘壁陣を犯した。二月己酉、火星が井宿を犯した。五月庚申、金星が鬼宿の積尸気を犯した。六月丁未、金星が昼に見えた。七月癸亥、金星が天空を経過した。十一月癸酉、月が土星を犯した。
- 至順元年(1330年):七月庚午、木星が氐宿を犯した。八月戊辰、金星が氐宿を犯した。九月己丑、火星が鬼宿を犯し、甲午、火星が鬼宿を犯した。十一月甲申、火星が退行して鬼宿を犯し、丙戌、金星が壘壁陣を犯した。
- 至順二年(1331年):二月壬子、金星が昼に見えた。三月丙子朔、火星が鬼宿を犯し、己卯、火星が鬼宿の積尸気を犯した。五月丁丑、火星が軒轅の左角を犯し、甲午、金星が畢宿を犯し、庚子、月が金星を犯し、辛丑、金星が天空を経過した。六月丁未、金星が昼に見え、丁卯、月が畢を犯し、金星が井を犯した。八月乙卯、金星が軒轅大星を犯し、庚申、金星が軒轅左角を犯した。九月丙子、金星が土星を犯した。十一月壬申朔、金星が鈎鈐を犯した。
- 至順三年(1332年):五月癸酉、火星が東井を犯した。