- 要旨: 瞿薩旦那国(旧名于闐)は毘沙門天の末裔を称する王家の建国伝説を持ち、養蚕伝来や龍・鼠にまつわる霊験譚など、多彩な伝説を伝える文化的な国と記す。
地理と風俗
- 周囲四千余里、大半が砂漠だが、穀物・果実に恵まれ、氈・絁紬を織り白玉・黳玉を産するとする。
- 人々は礼義をわきまえ温厚、学芸を好み、音楽・歌舞を愛し、服装は整い秩序があるとする。
- 文字はインドに倣うが独自の変化があり、言語は他国と異なり、仏法を篤く尊ぶとし、伽藍百余か所、僧徒五千余人が大乗を学ぶとする。
建国伝説
- 王は毘沙門天の末裔を称するとし、呾叉始羅国で両目をえぐられた無憂王の太子の一族が追放されてこの地の西境に至り酋長を王に推挙したこと、東方から流された別の王族の子孫と偶然出会い、宗統を巡って争って合戦になり、西方の主が敗死し東方の主が勝って遷都したという建国の経緯を記す。
- 都を築く際、水を撒いて地形を占う外道の導きで縄張りを定めたとし、後継ぎに恵まれなかった王が毘沙門天に祈願したところ、神像の額から嬰児が生まれ、乳の代わりに地面が乳房のように盛り上がって子を育てたという「地乳」の伝説が国名の由来になったと記す。
毘盧折那伽藍
- 王城南の大伽藍は、迦湿弥羅国から来た阿羅漢・毘盧折那の教化を受けた先王が建立したとし、王が仏の姿を見たいと願うと空中に仏像が現れて犍稚を授けたという霊験を記す。
瞿室𩜁伽山(牛角山)
- 王城西南の瞿室𩜁伽山(牛角山)には釈迦がかつて訪れて説法し、この地に国が建ち大乗が興隆すると予言したという伝承の伽藍があるとする。
- 山中の石室には弥勒の下生を待つ羅漢が瞑想を続けていたが、崖崩れで塞がれて以来、開けようとする者は蜂に襲われて阻まれると記す。
地迦婆縛那伽藍・勃伽夷城の仏像
- 地迦婆縛那伽藍の夾紵(漆塗り)の立仏像は、屈支国から夜のうちに自ら飛来したという逸話を持つとする。
- 勃伽夷城の仏坐像は、迦湿弥羅国出身の沙弥の生まれ変わりである王子が、前世の縁で像を移し祀ったという逸話にまつわるとし、王が着せた宝冠を今も戴くと伝える。
鼠壤墳の伝説
- 王城西の砂漠にある鼠の塚は、金銀色の巨大な鼠の一族の住処とされ、かつて匈奴の大軍に苦しんだ瞿薩旦那王が鼠に祈願したところ、夢で援助を約束され、実際に敵軍の馬具や弓弦を鼠が齧り切って無力化し、勝利を収めたという伝説を記す。
- 以来この国では鼠を篤く祀り、供物を怠ると災いがあると信じられているとする。
娑摩若僧伽藍の舎利
- 王城西の娑摩若僧伽藍は、山中で神通力を示した羅漢を王が篤く敬い建立したとし、後に得られた仏舎利を羅漢が掌に塔を乗せて安置したという奇瑞を記す。
麻射僧伽藍と養蚕伝来
- 王城東南の麻射僧伽藍は先王の妃が建てたとし、養蚕の技術がなかったこの国の王が東方の国(中国)に婚姻を通じて秘密裏に蚕種を持ち込ませ、王女が帽子の綿の中に隠して国境を通過させたという「西域への養蚕伝来」の逸話を詳しく記す。
- 王妃は蚕を殺すことを禁じる石碑を建てたとし、今もこの国では蚕を殺さない風習が続いているとする。
龍鼓の伝説
- 城東南の大河が突然涸れた際、羅漢の助言で王が河の龍に祈願すると、夫を亡くした龍女が国の大臣を新しい夫にと望み、大臣が自ら龍宮に入って犠牲となったという逸話を記す。
- 龍宮から白馬とともに戻された旃檀の大鼓には、外敵の襲来を事前に知らせる霊力が宿るとされたが、年月を経て鼓自体は失われたとする。
古戦場と媲摩城の仏像
- 王城東の荒地は、かつて東方の大軍との合戦で瞿薩旦那軍が大敗した古戦場とし、今も土が赤黒く染まっているとする。
- その東の媲摩城の栴檀の立仏像は、憍賞彌国の鄔陀衍那王が作らせた像が、かつて曷労落迦城の住民に軽んじられたため、羅漢の警告通り城が砂に埋もれる中、信心深い一人の男とともにこの地へ逃れ着いたという伝説を記す。
東方への道と結語
- さらに東の尼壤城は湿地に囲まれた東境の関門とし、その先は方角を見失いやすい大流沙(タクラマカン砂漠)が広がり、旅人は遺骸を目印に進むと記す。
- 砂漠を越えた先には覩貨邏故国・折摩馱那故国(旧鄯善)・納縛波故国(旧楼蘭)の廃墟が続くが、いずれも人煙が絶えているとする。
- 巻末で、見聞きした限りの国々の風土・習俗を大まかに記したにすぎないとし、唐の徳化が及ぶ広さを結びに述べる。