- 要旨: 摩揭陁国(上)は仏教史上最重要の聖地であるブッダガヤー周辺を扱い、無憂王(アショーカ王)の事績や、仏の成道にまつわる金剛座・菩提樹の由来、龍樹・提婆・馬鳴・徳慧・戒賢ら歴代の高僧が外道を論破した逸話を数多く記す。
波咤厘子城の起源
- 殑伽河南の故城(波咤厘子城、旧名巴連弗邑)は古の「香花宮城」に由来し、婆羅門の門下生が仙女と契り、その子のために神々が一夜で城を築いたという建都伝説を記す。
無憂王の地獄
- 王の旧宮北の石柱は、無憂王が即位当初、残忍な地獄(処刑場)を作らせ罪人を殺戮させていた場所とし、たまたま捕らえられた一人の沙門が地獄内で無常を観じて悟りを開き、灼熱の釜も蓮華の座と化す奇跡を見せたことで、無憂王自身が翻意して地獄を廃したという由来を記す。
- 獄吏はかつての命令に従い王自身も処刑しようとしたため、王が獄吏を処刑して事を終わらせたという顛末も記す。
無憂王の舎利塔と仏の足跡石
- 地獄の跡の南の仏塔(八万四千塔の一つ)には仏舎利一升が納められ、無憂王が近護阿羅漢の導きで各地に同時に仏塔を建立したという伝承(羅漢が神通力で太陽を隠し、その瞬間を合図に一斉に舎利を納めたという逸話)を記す。
- 傍らの精舎には釈迦が最後に南(摩掲陀国)を顧みて残したと伝える足跡石があり、無憂王が近くに都を築いて供養を続けたが、後の設賞迦王が仏法を憎み削り取ろうとしても元通りになったという霊験を記す。
無憂王の大石柱と摩醯因陀羅の逸話
- 傍らの大石柱には、無憂王が全国土を三度仏法僧に施し三度財宝で買い戻したという信仰の篤さを記す碑文が残るとする。
- 旧宮北の大石室は、無憂王が驕慢な弟の摩醯因陀羅を戒めるため一時幽閉したところ、弟が悔い改めて出家し悟りを開いたため、王が鬼神を使役して山中に石室を築き弟の隠棲の場としたという逸話の地とする。
無憂王の営造遺跡と雞園僧伽藍
- 旧宮の北には無憂王が僧への給食用に作らせた大石槽や、近護阿羅漢らのために鬼神を使役して築かせた石室群、罪を洗い清めるとされる聖水の池があるとする。
- 西南の五つの仏塔は無憂王が八万四千塔建立後に残った五升の舎利を納めたものとし、後世これを財宝の蔵と誤解して発掘しようとした王が天変地異に遭ったという伝承を記す。
- 城東南の雞園僧伽藍は無憂王が仏教への帰依当初に建立し、多数の僧を供養したが今は荒廃しているとする。
阿摩落迦塔(無憂王臨終の逸話)
- 雞園伽藍の傍らの塔は、病に倒れ権臣に財産を奪われた無憂王が、最後に残った半分の果実(アーマラカ)を僧団に布施し、「かつて全世界の主であった自分が今は半分の果実しか自由にならない」と嘆いたという臨終の逸話の地とする。
建犍稚声塔と提婆の外道論破
- 阿摩落迦塔の西北の塔は、かつてこの都の僧団が外道との論争に敗れ、十二年もの間、集会の合図である犍稚(鐘板)を打つことを禁じられていたところ、龍猛(龍樹)菩薩の弟子である提婆菩薩が変装してひそかに入城し、鐘板を打ち鳴らして論争を挑み、外道を打ち破って禁を解いたという逸話の地とする。
馬鳴の逸話
- 建犍稚声塔の北の旧跡は、鬼神の加護で高名だった婆羅門の弁士に対し、馬鳴菩薩が正体を見抜いて対決を挑み、姿を隠して話す婆羅門の欺瞞を暴いて論破したという逸話の地とする。
鞮羅択迦伽藍と山中の仏跡
- 城西南の鞮羅択迦伽藍は頻毘娑羅王の子孫が建立した大乗の大寺院で、金・銀の三体の仏像とそれぞれに納められた仏舎利があるとする。
- その西南の山中には、釈迦が瞑想したと伝える磐石上の仏塔があり、宝物が石に変じたという伝承や、蛇・猛獣が右繞して礼拝するという神秘的な光景が語られるとする。
徳慧伽藍と外道論破
- 山の西北の伽藍は、南インドから来た徳慧菩薩が、当代随一と称された外道の学者摩沓婆を論破した逸話の地とする。
- 徳慧が予告通り論争に臨むと摩沓婆は答えに窮して急死し、その死を隠して代わりに妻を論場に送ったが、徳慧はその表情から死を見抜いたという逸話や、後に別の外道の挑戦を受けた際、徳慧が自らの座具(台座)に語らせて論破させたという不思議な逸話を記す。
戒賢伽藍と外道論破
- 徳慧伽藍の西南の孤山の伽藍は、戒賢論師が論争に勝利した記念に建てられたとする。
- 戒賢は師の護法菩薩の代理として若くして南インドの外道と対決し、これを打ち破って王から邑を与えられたが辞退し、代わりに伽藍を建てたという経緯を記す。
伽耶城と伽耶山
- 伽耶城は仙人の子孫である婆羅門が多く住む険固な地とし、その北の清泉は罪垢を消すとされる聖水、西南の伽耶山(霊山)は歴代の王が即位を祝う儀礼の場であり、釈迦が『宝雲経』などを説いた無憂王建立の仏塔があるとする。
- その東南には迦葉波(三迦葉)が火を祀っていた場所にまつわる仏塔があるとする。
前正覚山
- 大河を渡った先の前正覚山は、釈迦が悟りを開く前にまず登った山とし、山神・龍の警告により菩提樹の下(金剛座)へ移ったという成道直前の経緯を記す。
菩提樹垣
- 菩提樹を囲む聖域の中心には金剛座(賢劫の千仏が悟りを開くとされる不動の座)があり、その傍らの菩提樹は釈迦が悟りを開いた木として、無憂王による伐採や再生の奇跡、後代の設賞迦王による破壊とその後の再生といった幾多の受難と再生の伝承を伴うとする。
- 東の大精舎には釈迦の成道時の姿を写したという仏像が安置され、その由来として、婆羅門を名乗る者(実は弥勒菩薩の化身)が六か月間閉じこもって彫像を完成させたという奇瑞を記す。
- 菩提樹の周囲には、釈迦が悟りを開いた後に経行した跡、樹を見つめ続けた場所、梵天・帝釈天が座を設けた場所、吉祥草を得た場所、悪魔が誘惑・威嚇した場所、乳粥を捧げた牧女の家、四天王が鉢を捧げた場所、母への説法の場所、優楼頻螺迦葉ら三兄弟を教化した場所、目支鄰陀龍が釈迦を守護した場所など、無数の聖跡が伝わるとする。
- 北門外の摩訶菩提僧伽藍は、印度で冷遇されたことを機に僧伽羅国(スリランカ)の王が私財を投じて建立した大寺院で、僧徒はスリランカ出身者が多いとする。