大宋中興通俗演義第七十二回 東陽市にて施全、義に死す (東陽市施全死義)
金主弑逆の報と秦檜の専横
金の熙宗が殺されたとの知らせが南朝に届くと、高宗は「これで憂いが無くなった」と喜ぶ。群臣は金国の混乱に乗じて挙兵し先帝の恥を雪ぐよう勧めるが、秦檜は「完顏亮は熙宗の遺臣に支えられ、しかも北方の軍勢は精強で兵糧も豊かだ、軽々しく攻めるべきではない」と反対し、高宗はこれに従う。以後、南朝には金への備えの緊張が緩み、高宗は日々秦檜邸に通っては褒賞を重ね、檜の妻子・孫にまで高位高禄を与える。秦檜の権勢はいよいよ強まり、市中の民は檜の一行を見れば恐れて身を隠すほどであった。
施全の刺殺未遂
後軍の施全は、岳飛父子が無実の罪に陥れられ一族が嶺南へ流されたことに義憤を抱いていた。春秋時代に智伯の恩に報いた豫讓の故事を思い、自分も岳飛のために秦檜を討とうと決意する。ある日、朝に向かう秦檜の駕籠を待ち伏せ、刃を突き入れるが、駕籠の覆いが厚く檜を傷つけるに至らず、随従の役人に取り押さえられる。秦檜の尋問に対し施全は臆せず、「お前は国を誤らせた賊、天下の誰もが討ちたいと思っている」と面罵し、誰の指図かと問われても頑として口を割らない。秦檜は大理寺の獄に送って処罪させ、東陽市で斬刑に処した。後人はその義挙を詩に詠み、豫讓と並び称えた。(詩:施全の忠義を豫讓に比して称える内容)
風行者探索
施全処刑後、秦檜は身辺の護衛を厚くするが気鬱に沈む。妻の王氏が案じて問うと、檜は施全に刺されかけた顛末を語る。王氏は、以前霊隠寺で風行者という僧が檜の作らせた詩を完成させず「詩が全うすれば丞相に不利」と口にしたことを思い出し、「施全」という名と重ねて疑いを口にする。秦檜は何立に命じ霊隠寺へ風行者を捕えに行かせるが、風行者は逃げも隠れもせず素直に応じるふりをして房に入り、姿を消してしまう。残された小箱には秦檜宛の詩が入っており、俗世を捨てた身の上と、自分の居所は「東南第一山」にあると記されていた。(詩:風行者が塵世を離れた心境と居所をほのめかす内容)
何立の探索行
秦檜は道月長老を取り逃がした前例もあり、何立に厳命して「東南第一山」で風行者を必ず捕えて来いと命じ、失敗すれば斬罪・一族流罪とすると脅す。何立は妻子に、東南第一山は仙人の住む地とも言われ、常人には行き着けぬ場所であり、この機に乗じて逃げるほかないと打ち明けるが、結局は旨に従い出立を決める。地理図を調べたところ、東南第一山は盱眙軍城の東にある実在の山と分かり、何立はそこを目指して旅立つ。