大宋中興通俗演義第七十一回 熙宗を弑し顔亮、権を弄ぶ (弒熙宗顏亮弄權)

張濬の上疏と再貶

連州に流されていた張濬は、高宗が言路を求める詔を出したと聞き、時事を論じたいが母に累が及ぶことを恐れて悶々とする。母の許氏は、亡夫が命がけで諫言した故事を引いて奮起を促し、張濬は意を決して上疏する。内容は、国政の危機は膿のように放置すれば大きくなる、早く手を打つべきだという趣旨。高宗はこれを秦檜に見せるが、檜は「天下は既に太平であり、張濬は再び兵を動かそうとしている」と讒言し、再度の左遷を求める。高宗は一旦聞き入れないが、檜は独断で詔を偽り、張濬を鄆州へ貶す。

趙鼎の死

清遠軍節度副使の趙鼎は、張濬が再び貶されたと知り、自らも病重く先が長くないことを悟る。生前に墓誌や銘旌を用意させ、子の汾に「秦檜は必ず自分を殺そうとしている、自分の死後は他事なく遺骸を故郷へ葬ってほしい」と言い残し、絶食して五十九歳で没した。高宗はその死を深く悼み、魏徴にも比する忠臣であったと語る。臣下の勧めもあり、高宗は趙鼎の柩を故郷へ帰葬するよう詔した。

金国宮廷の異変と完顏亮の台頭

金では司天台官が、二星が墜ちて将相を失う凶兆と、北の帝星が暗く逆臣が現れる兆しを奏上する。折しも趙鼎の訃報、続いて金の太師兀朮の死が伝わり、熙宗は国勢の弱まりを嘆く。後任について群臣は完顏亮を推すが、副丞相の宗賢は「完顏亮は残忍な性で信頼できず、用いれば禍の元になる」と諫める。熙宗は聞き入れず完顏亮を平章政事・右丞相とし、のち太保にまで昇らせる。完顏亮は媚びへつらって寵を得る一方、政敵を退け、国政は裴蒲皇后が代わって取り仕切るようになり、熙宗はもっぱら酒色に耽った。

完顏亮の失脚と熙宗弑逆の兆し

熙宗が皇統九年、後継を立てることを群臣に諮ると、宗賢や耶律徳は東宮が既にあることを理由に反対し、裴蒲皇后も筋が通らないと諫める。熙宗はこれに不満を募らせ、後宮での酒宴中に裴蒲后から「完顏亮の謀反の噂がある」と警告されても取り合わない。ある夜、雷火が寝殿を焼く大火が起こり、翌日も暴風で多くの民家が壊れる。熙宗はこの天変を完顏亮への不信の兆しと受け止め、宗賢の進言もあって完顏亮を雲中へ左遷する。

完顏亮のクーデター

雲中に追われた完顏亮は恨みを抱き、腹心の堇孛太濟らと再起を謀る。まもなく、熙宗が酒に酔って裴蒲皇后を斬り、左司郎中三合をも殺したこと、そして完顏亮を再び召し戻す動きがあるとの知らせが届く。完顏亮は喜び、実際に召還の詔が届くと、堇孛太濟らと共に入朝の機に乗じて謀反を決行する計画を練る。燕京に入った完顏亮は熙宗の面前で刺殺し、駆けつけた武臣劉嘉遠も返り討ちにする。完黑豹の伏兵が城内になだれ込み、近侍たちも完顏亮の息のかかった者ばかりで抵抗せず、完顏亮は「淫乱な主君を除き賢君を立てる」と宣言して実権を握った。撒真太后を表向き臨朝させつつ自ら聴政し、腹心を要職に配し、旧臣や熙宗ゆかりの太宗・黏沒喝の子孫百数十人を殺害して粛清した。宗賢と耶律徳のみは事前に察して南朝へ逃れ、難を免れた。