大宋中興通俗演義第七十回 秦檜、風魔行者に出会う (秦檜遇風魔行者)
霊隠寺への参詣
- 秦檜と王氏一行は霊隠寺に向かい、僧官らが十里先まで出迎えた。道中の景色を楽しみつつ寺門に着く(詩:霊隠寺の壮麗な景観を讃える内容)。
- 東廊の壁に貼られた詩の中に、新しく書かれた一首があった(詩:「虎を縛るのは難しくないが、放つのは難しい」と、東窗での密議を暗示し、三人の冤魂の恨みを詠む内容)。秦檜はこの句が妻が灰に書いた文言と同じであることに驚愕する。
風魔行者との問答
- 住持に問うと、寺に来た風変わりな小行者が書いたものだという。秦檜が呼び出させると、行者は悪びれず「詩は丞相が作り、自分は書いただけ」と答え、「膽」の字をわざと大きく書いた理由を「自分の膽は大きいが、丞相の膽はもっと大きい、天も地も恐れない」と皮肉る。
- 秦檜は不審に思いつつ仏事を進める。斎の後、行者を呼び饅頭を与えると、行者は中身を地面に捨て、「私が捨てるのは、丞相が捨てるのに及ばない」「私が二つ壊すのは、丞相が三、四壊すのに勝る」と当てこする。
- 王氏が行者の病の由来を尋ねると、行者は「東窗で涼を得て患った」と答え、王氏を驚かせる。秦檜が法名を問うと「守一」と名乗り、詩才を試されて即興で詩を作った(詩:秦檜の功業を讃えるように見せて、実は当てこすりを含む内容。下の句を促すと「全篇が見えれば丞相の死期が近い」と不吉な言葉を口にする)。
暴かれる真意
- 完成した詩を秦檜が横に読むと「久占都堂、有閉賢路(久しく都堂を占め、賢路を閉ざす)」の八字が浮かび上がり、秦檜は激怒して行者を杖罪に処そうとするが、行者は殺人はしていないと抗弁し、王氏の取りなしで赦される。
- 行者は西廊へ追いやられる際も「夫人は西廊で食事をせよと言ったのに、東窗で食べさせようとする」と当てこすりの言葉を残して去った。秦檜夫妻は落ち着かぬまま寺を辞し、臨安へ帰った。
岳州改称と周三畏の隠遁
- 秦檜は病が癒えても心穏やかでなく、「岳」の字を忌んで岳州を「純州」と改めさせた。
- かつて岳飛の裁きを拒んで職を辞した大理寺丞の周三畏は、秦檜が霊隠寺で懺悔していると聞き、「天の作る禍は避けられても、自ら作る禍は逃れられぬ」と秦檜を評し、逃亡を図った。鄂州の宿場の壁に詩を残し(詩:高位にある者は必ず危うく、忠孝を全うするのは難しいという趣旨)、丹霞山に隠棲しその後の消息は知れなくなった。
金国の動静
- 金主は廃斉王劉豫の死を知り、かつて重用した経緯を思い返して感傷を示す。左丞相耶律徳はこれを徳の至りと称えた。
- 金主は宋の使者王倫を平灤二路都転運使に任じようとするが、王倫は降伏を拒み、先祖の忠節を汚すことはできないとして命に従わなかった。金主は怒って刑を加え、王倫は南に向かい拝礼して慟哭した後、階下で縊死させられた。金の都では二日にわたり雹が降り、聞く者はこれを悼んだ。
高宗の対応
- 王倫殺害の報が届くと高宗は激怒し、金への出兵を考えるが、枢密使万俟卨は小さな怒りで国計を損なうべきでないと諫め、力を養ってから機を見て動くべきだと説いた。前中丞何鑄も征伐を控え天命を待つよう奏し、高宗はこれを容れて出兵を思いとどまった。