大宋中興通俗演義第六十回 秦檜、計を定め兵権を削る (秦檜定計削兵權)

岳飛の再度の献策と蘄黄への出兵

  • 岳飛は臨安で高宗に、金軍南下で本拠地が手薄になった隙を突く北伐策を献じるが、聞き入れられず、秦檜も濠州陥落を「小事」として和議継続を説いた。
  • 岳飛は病をおして再度上奏し、蘄州・黄州方面での対敵を願い出て許され、鄂州から出兵。濠州がすでに金軍から取り戻されていたと知り、軍を整えて舒州に駐屯し朝命を待った。

秦檜・范同の兵権削減策

  • 岳飛の上表を見た秦檜は、給事中范同と謀り、韓世忠・張俊・岳飛を枢密の職に就けることで実質的に兵権を取り上げる策を立てた。
  • 秦檜はこの案を高宗に奏上し、三将を功労により朝廷へ召し戻す詔が発せられた。

三将の召還と岳飛の弁明

  • 張俊・韓世忠・楊沂中らは召還に応じ入朝したが、岳飛のみ舒州にとどまっていた。秦檜は王次翁の進言により再度召還の使者を送る。
  • 岳飛は李若虚・黄順の伝える詔を受けて上京し、高宗に拝謁。撤兵の経緯を涙ながらに弁明し、高宗も労いの言葉をかけた。

樞密使任命と張俊の恨み

  • 翌日、韓世忠・張俊は枢密使、岳飛は枢密副使に任じられ、楊沂中・王徳らにも褒賞が与えられた。
  • 張俊は岳飛が自分より若く後から出世したことを恨み、腹心胡居正の勧めで自ら兵権を返上して秦檜に取り入り、和議を後押しする姿勢を示して信頼を得た。

秦檜の専権と岳飛の淮東鎮撫

  • 秦檜は三宣撫司の廃止と兵権の朝廷直属化、三総領所の設置を奏上し、以後朝政は秦檜の意のままとなった。
  • 宣撫司廃止後、韓世忠旧部の淮東軍が統制を失い動揺すると、高宗は衆議の末、楊存中でなく岳飛を淮東に遣わして鎮撫させた。岳飛が至ると軍は威信により静まり、離反者も帰順し、高宗は岳飛への信頼を改めて示した。