大宋中興通俗演義第五十二回 王烏禄、大いに南寇を駆逐する (王烏祿大驅南寇)

劉錡、順昌へ急行

  • 兀朮は撒離喝の敗報を受け、諸将に河南諸郡を急襲させた。劉錡は東京救援に向かう途中、旗竿が折れる不吉な兆しを見て軍を急がせたが、東京はすでに陥落していた。
  • 劉錡は知府の陳規と協議し、順昌城の食糧が籠城戦に耐えうると判断、船を捨てて城に入り籠城の準備を進めた。

籠城の覚悟

  • 諸将は金軍の勢いを恐れ撤退を進言したが、劉錡は「糧食は足り、退く理由はない」と一蹴。部将の許清も決戦を主張し、劉錡は船を沈めて退路を断ち、家族を寺に置き「不利あらば焼き払え」と命じるなど、決死の覚悟を示した。
  • 城外の民家を焼き払い、城中に住民を収容、防備を六日で整えた。伏兵を配し、旗を伏せて敵を誘い込む策を取った。

金将アリ・ホアンダを捕獲

  • 金の阿里・黄達が一万騎で城下に迫るも城内の様子がつかめず動揺。伏兵の合図とともに挟撃を受け、阿里は劉錡・耿訓に捕らえられ、黄達は閻充に討ち取られた。
  • 捕虜となった阿里の尋問から、金軍の兵力配置(兀朮の本隊、韓復雄、葛王烏祿、龍虎大王らの布陣)が判明した。

順昌籠城戦

  • 劉錡は疑兵の策や強弓での迎撃で金軍の攻撃を防ぎ、自ら城門を開いて突撃し金環没朶を斬るなど、たびたび金軍を撃破した。
  • 韓復雄は雲梯四十台を作らせ総攻撃をかけたが、劉錡は火矢でこれを焼き払い撃退。
  • 劉錡は夜襲策を案出し、竹笛(嘂)を合図に稲妻の光に紛れて奇襲する奇策で城中の壮士五百人を送り込み、金営を混乱させた。自らも許清・閻充と共に金陣に突入し、孛堇郎君を討ち、韓復雄も撃退した。

金軍の総崩れ

  • 暴風雨の中、金軍は同士討ちを起こしながら潰走。夜明けには五十里も後退しており、宋軍は多くの馬匹・輜重を鹵獲した。韓復雄らは老婆湾に布陣し直し、汴京へ急ぎ救援を求めた。