大宋中興通俗演義第三十三回 劉子羽、兵を分けて敵を拒む (劉子羽分兵拒敵)

李成の敗走

  • 李成は十万の賊勢を率いて建昌の楼子荘に布陣し、張俊・岳飛の連合軍と対峙する。岳飛は自ら出馬して李成に投降を勧めるが応じず、一騎討ちの末に李成は敗走。
  • 張俊軍が追撃し、賊兵八九万が降伏。李成は単騎で中原へ逃れ劉豫を頼った。岳飛は降卒を筠州に送り田宅を与えて民籍に編入させた。

張用の帰順

  • 岳飛は江西に残る賊将張用の討伐に向かう前に、旧知の誼で書状を送り帰順を勧告する。張用は妻の勧めもあり、これを受け入れて岳飛に降った。
  • 張俊は岳飛の武勇と智略を称賛。岳飛は降兵のうち従軍を望む者を配下に編入し、民籍を望む者は近隣州県に登録させた。
  • 班師の後、張俊は岳飛の功を第一と上奏し、高宗は岳飛に金の酒器を賜り江州に駐屯させた。

胡安国の時政論

  • 彗星の出現を受け高宗は時政の得失について上言を求め、中書舎人胡安国が「時政論」二十一篇を上奏。
  • (内容:建都・険阻の確保・恤民・法制整備を国家経営の要諦とし、君主の心構え(尚志・正心・養気・宏度・寛隠)を説く)
  • 高宗はこれを気に入り胡安国を給事中に昇進させ、のちに侍講として『春秋』を講じさせた。胡安国は『左氏伝』ではなく経義の精神を重んじるよう進言した。

川陝の人事と饒風関の攻防

  • 高宗は朱勝非を尚書右僕射兼知枢密院事に、韓世忠を江南東西路宣撫使に任じ、王似を川陝宣撫副使とした。侍御史黄龍年は張濬の実績を挙げて王似の起用に異を唱えたが、高宗は聞き入れなかった。
  • 張濬は不安を覚え劉子羽を招き相談。折しも金の撒離喝が金州を攻め、王彦は敗れて石泉へ退いた。子羽は田晟に饒風関の守備を命じ、吳玠にも和尚原から応援を要請した。
  • 吳玠は弟の吳璘に和尚原の守備を任せ、自らは饒風関へ急行。撒離喝軍の猛攻を七昼夜にわたり防いだが、間道を知る敵に祖溪関から迂回され、背後を突かれる。
  • 吳玠は洋州へ退き、興元で子羽と合流するが興元も支えきれず、両者は協議のうえ興元を焼き払い、大安軍三泉県まで退いた。